自分の人生

人間は「わかる」というものと「きづく」というものとで自己との対話をしていきます。わかるというのは、理解することですがきづくというのは覚めるということです。

先日ある人が、主体性のない部下に対して「あなたは一体どうしたいのか?」と聞いても本人がどうしたいかわからないという返答で困っているという相談がありました。主体的に自分で決めたことをやった方が楽しいし本当の人生だからと善意で話をしても本人は、「考えれば考えるほど自分のことが分からない」とより一層悩みが深まって困ってしまうという話です。

本当の自分のことを抑え込んで世間体や周りの空気を読んで周囲にとっていい人でいようと自我を無視して誰かのいう正しいを正しいことと盲目に信じてその場しのぎで楽をしてきたことでわかりのいい人になりきづくことができなくなってしまったのかもしれません。すぐにわかるわりに、気づくことがないのはわかりのいい人が長かったからかもしれません。

この場合のわかるとは、周りをみてわかることです。自分がどうしたいかを常に周りをみながら決めてきた人生を送れば、周りを関係なく自分はどうしたいかという選択肢はなくなってしまうものです。そうなると、自分は世間体や評価、周囲の期待に応える自分を自分と思い込んでしまい自分がしたいことが何かと聞かれても周りがどう思っているかということや周りはどうしてほしいのかがわからないという具合で本当の自己のことはもう見失ってしまっていることが多いように思います。周りの中でつくりあげてきた自分のことを自分だと思い込んでしまうことをやめないかぎり自分のことには気づけないのです。

本来、自分がどうしたいのかというのは自分はどういう生き方をするかという自分自身を貫いていく人生のことでもあります。人生は何のために生きるのかからはじまり、そのためにどう生きるかを決めます。その決めたものが生き方ですから、常に自分は何がしたいのかというのは常日頃から自己との対話によって覚悟を磨いていくものです。

もしも今まで自分の心の声に従うのではなく、周りをみて空気を読んで従っている癖があれば周りの声のことを自分の声だと勘違いしてしまうかもしれません。周りの評価を気にしては自分をさらけ出すこともできず、あるがままの自分を隠しては周りの期待する人に近づこうと頑張ってしまいます。本当の自分ではない付き合いをする人は、その後の人生でも無理をして本当の自分を偽りますから真実の信頼関係がもたなかったり、自分自身も本来のつながりや絆を結ぶことができずに孤立してしまうものです。

大事なことは、周りとか空気とか世間体とかを一時忘れて、本当はどうしたいのかと自分の初心を確認することだと思います。そしてひとたび初心を思い出したのなら、その初心を忘れないようにしていくことが自分の声に従い自己との対話を通して覚悟を定める生き方になっていくように思います。

自分自身に素直になる人は、他人にも素直になれますし、自分自身を信頼できる人は、他人のことも信頼できる人になります。まずは自己というものを自覚すること、つまりはわかろうとするよりもきづくことを優先することのように思います。

きづくとは、「本当は何か」と自問自答することです。

引き続き、その人らしいその人の個性をみんなが喜び活かせるように自分の人生や生き方を思い出し主人公と自覚できるような環境を子どもたちに用意していきたいと思います。