価値観を毀す

人間は知らず知らずのうちに、自分の生まれ育った環境の中で価値観が固定されていくものです。特に国家や社会の中で、これは正しいこれは間違っていると一つ一つがインプットされればその固定概念によってできないことやできることが身に着いていきます。

時に外国に行き、別の国家や社会の価値観に触れれば日本では常識的にあり得ないことでもその国では当たり前に行われたり、世界で非常識だと思われることでも日本では常識だと認識されていることもあります。

通常であれば、大多数の方の価値観に無意識に従って判断していますが価値観が異なる環境の方に身を置けばそれまでの自分の価値観を維持することが難しく価値観が揺さぶられ毀れていくものです。

この価値観を毀すというものが、自分を変えていくということかもしれません。

自分の価値観を揺さぶり、自分の価値観を毀すことは自分を毀していくということです。古くなり鈍ってしまっている自分の感覚を磨き上げて新鮮に鋭敏にしていくという感覚のことです。

人間は環境の中で無意識に影響を受けて、次第にそれが癖づいていきます。習慣になれば価値観は固定され、その価値観によって常識や限界が生まれていきます。本来はできることも、その大前提になっている価値観が邪魔して動くこともできません。先に諦めてしまうのは、その価値観がガチガチに固定されてしまっているからでもあります。

自分を毀し続ける挑戦というものは、価値観に囚われず本質を磨き続けていく挑戦です。環境がどうであれ、自分が目指しているもののために敢えて常識を毀していくという挑戦のことです。

周囲からは馬鹿だと呼ばれたり、狂っていると中傷されたりしても、本人が目指す理想に向かって真摯に挑戦し価値観を毀し続けることでそれまでの人々の価値観があるときある瞬間に音を立てて毀れて新しくなります。時代の価値観の移り変わりというものは、そういう維新の志士たちによって行われてきたのです。

生きているだけでその国や常識や社会の価値観の圧力を受け続けて自分が抑えこまれていきますからそれを日々に壊すために自分の鈍る感性を鋭敏に磨き上げていく必要があります。

価値観を揺さぶられるような体験は、主体的に自らが挑戦することで得られますから自分の中で考えられないようなことへも面白がって楽しく勇んで挑んでいくことが新しい自分と出会うきっかけになります。いろいろな人に出会うのも、いろいろな分野を深めるのも、いろいろなところに行くのも、いろいろな本や智慧に導かれるのも価値観を毀し自分を磨くためです。

引き続き、子どもたちに固定概念を押し付けず子どもたちがあるがままに活きられる世の中を見守るために自分の価値観を揺さぶり続けたいと思います。