自然か不自然か~変化の本質~

昨日は、自然農の畑を手入れし夏野菜の苗を移植していきました。固定種の種で育てていると、種どりもまた一つの楽しみになります。畑で年々巡り、順応したものはその土地の種になるからです。

種の保存というのは面白く、四季を巡りなら自然と一緒に変化順応していきます。もしも100年に一度の種であれば、急激な気候の変化に種は耐えられません。しかし毎年少しずつ変化していくのには順応でき、気候変動と共に変化していきますから種も自然の一部として気候と共に存在するのです。

そもそも自然のように偉大な存在が変化するには、かなりの時間がかかるものです。巨大なものほど私たちにとっては変化が遅く感じられるからです。大体、こちらが急に変化したと驚くのは自分自身の変化に対する意識が低くなっているだけで、自然の生き物たちは小さな変化にいつも敏感に反応しているものです。そうしなければ自然で生きていくことができないからです。

例えば、私たちは家で空調をはじめ快適な状況で生活ができていますが、常に庭にいる犬や猫、鳥などは寒暖差がある季節はじっとしてやり過ごしたり、なるべく日陰や日に当たったりしながら体温調節などをうまく行っています。自分の内面の体の体温を保持しながら季節に合わせて自分の体温を気候に調和調整していくのです。

常に自然は微動な揺れや微細な振動のようなもので波うち、緩やかに変化を続けます。海の浜辺で潮の満ち引きがあるように、少しずつ干潮と満潮を繰り返しながら活動を已みません。そして自然の生き物たちもまた、その自然の持っている生活リズムに合わせて活動したり休息をとったり、感覚を自然に合わせながら自分を変化させ続けていくのです。

人間は気が付くと気候が変わり突如変化を迫られるように勘違いしてしまいますが、実際は自然や全体に合わせるのではなく、自分の決めた時間や設定した自分のルーティンにばかりに意識を合わせるうちに変化に迫られるような気がしてしまうのです。特に、幼少期から制服のようにいつも同じ服、同じ場所、同じことを何度も繰り返していればそのうちに変化することが分からなくなるのかもしれません。

私は最近「全体快適」という言葉も最近は使っていますが、これもまた自分がマンネリ化しないようにいつも全体に対して少しずつの変化を楽しむコツでもあります。無理に同じことを続けるために変化しないでいることの方が大変なことです。それよりも変化を楽しみながら、その時々の四季折々に耳を傾け、自分から調和していこうと心地よさを追求していけば自ずから自然と一体になっていくように思います。

自然の風を感じながら、自然の気候を味わいながら、自然に耳を澄まし、自然とと共に歩んでいく。この安心感こそ変化の源泉であり、変化は生きている実感を味わえる証明でもあります。

生きたまま変化を避けて死人のようになったり、生きているのに五感を使わずに頭だけのイメージで一日を過ごす人形のようにならないように、常に全体快適、全体善になるように自然に合わせて自分も一緒に変わっていけると不自然さがなくなってくるように私は思います。

自然か不自然かは、変化を楽しんでいるか変化が苦しいかです。

子どもたちにも変化の味わい深さを伝承できるように、自分自身が変化を楽しんでいきたいと思います。