和魂の継承

明治の頃、欧化政策というものが新政府によって実施され文明開化というスローガンをもとに西洋の文明を積極的に取り入れていきました。本来ならじっくりと今までの日本の文化の価値観で取り入れていくはずのものが、急場しのぎのために西洋の文化を西洋の価値観そのままに日本を否定し入れ替えるというやり方で行われました。

この時の欧化政策や文明開化というものは、単に価値観の入れ替えであり違う国の子民と文化になろうとしたとも言えます。今、私たちが履いている靴や洋服といった洋装文化もまたこの明治から入れ代わりました。今では町中でほとんど下駄や和装をする人たちを国内で見かけることはなく、京都では外国人の観光客たちが面白がってレンタルしたものを着ている光景を見かけるくらいです。

その後、日本は西洋の文化にしてむかしから大切にしてきた和魂というものを捨てていきました。例えば、和魂の代名詞ともしていて侍の刀、そしてそれまで大事にしてきた日本の価値観としての道徳観や宗教観、暮らしなど一つ一つすべて手放していきました。今ではそんなことを言えば、国粋主義者ではないかなど評されますが明治の頃などは植民地政策が行われていたこともあり排他的になるのは仕方がないことです。

かつて聖徳太子が、神道と仏教と儒教を和合させていきました。その時、和を優先しようとしたのが日本の和魂の原点であり、そこから私たちの国は神話に習い排他するのではなく全体調和して和合することを重んじてきました。明治にはそれも廃仏毀釈によって神仏分離し、宗教の自由として日本の価値観を変えました。また菅原道真が中国から入ってきた文化を和魂で調和して和魂漢才といってその当時の様々なルールや仕組みを日本人の価値観に合うように道理を引き直しました。それも明治に入り、洋才を使って洋魂にしていきました。

本来、歴史の中で日本文化を使って日本人の和魂で調理する方法はその後の日本を創造し世界屈指の文化と文明を江戸時代に開花させたのですがそれも明治によって捨て去ってしまいました。明治に欧米の植民地化から日本を守るためにとった政策がここまで今の日本を変えてしまうとはその頃の先祖たちは果たして観通していたのかなと最近ではよく感じます。一時的に、その場は仕方がないと手放して捨てたものがちゃんと今それが修正され拾われて元に戻されているのだろうかと。

歴史は途切れることはなく、つながりの延長線上に積みあがって今があります。むかしの仕組みや智慧や伝統や暮らしは、日本人が長い年月をかけて醸成し形作ってきたものとも言えます。そういうものに守られながら私たち子孫はこの風土と一体になって今まで生き永らえ世界に貢献していく力を蓄えてきました。

そしてそれは地球でそれぞれの風土で多様化した文化はまさに人類が生き残るための知恵になるはずのものでした。

もしも西洋一辺倒で塗り替えてしまえば、地球は西洋文明だけになってしまいます。そうなれば風土が気候などで激変をしてしまったり、環境が今とは異なってしまった際に、私たちは打つ手が西洋文明の知恵だけになってしまいます。短期的にはそれで乗り越えても、何百年という歳月は西洋文明だけでは乗り越えていくことは不可能です。だからこそ私たちは多様な文化を尊重し、それぞれの善いところ、持ち味を活かし合いながら人類を存続していく必要があるように思います。

日本には神話の時代から今まで続く皇の系譜があります。そして私たちはその子孫です。これだけ永く続く文化と文明を維持していく日本には、人類がどうやってそれを維持していけばいいかといった循環の智慧の宝庫でした。

地球はもともと自然環境が多岐にわたり様々な表情を持つ星ですから、その星の中で生きていく私たちはそれぞれの気候風土に姿を変えて生きていく生き物の一つです。

子どもたちが自分たちがどのように今まで育ってきたか、先祖がどのように価値観を磨いてきたか、その風習や暮らしぶり、いわば原風景を知っていることはこの先の未来に自らで判断して行動できる基準になります。

現在の世界の教育のスローガンは、自ら考える力をつけることです。そのためには考える元になる文化をしっかりと再認識する必要があると私は思っています。子どもたちが安心して自分たちを自分たちで切り拓いていけるように、今、できることを自分の脚下で実践していこうと思います。