歴史的建造物

昨日は、万里の長城や明の十三陵を観光する機会がありました。実際に写真で見るのと歩いて見るのとでは大違いでその建造物のスケールの大きさに感動しました。また十三陵の永楽帝の長陵もまるで現在でも皇帝が佇み棲んでいるかのような荘厳絢爛な建造物にも感銘を受けました。

北京から少し離れれば、山水画に見たような景色が広がっています。偉大な山河が連なり、遠くから雄大な風が吹き抜けていくイメージです。この広大な土地で、人々が暮らしてきた足跡を直観すると四千年の歴史という悠久の流れを感じます。

この万里の長城は、1987年に世界文化遺産に登録されその長さは6,000km以上あるとも言われています。この長さを具体的に言うと、北海道から沖縄までが約3,000kmあり、その長さの約2倍以上の長さを「人の手」で作られたものです。

この長城は城というよりは城壁という感じですが、北方騎馬民族の脅威がありその民族が南下してこないように設けられたものだったといいます。実際には、長城のいくつかの場所には交易所もあり南から絹などの特産品、食料、北からは馬などを交易していたといいます。

しかし、お互いの勢力の均衡次第で侵攻が繰り返されたようです。初期は秦の始皇帝の少し前から造りはじめ完成したのは明の時代だとも言われます。そこまでで約2000年です。この間、ずっとこの北方騎馬民族との対立や戦争が続いていたというのは私たちには想像し難いものがあります。騎馬の時代が終わり、武器が火砲や戦車、飛行機になってからはこの長城は役割を終えました。今では、観光地として人の往来が盛んです。

そう考えてみると、この長城を境目に北方民族(狩猟民族)と南方民族(農耕民族)の関係が常に歴史の舞台に登場してきて国が変化し続けてきたのを感じます。それぞれの境界線の中で、人々は融和したり戦争したりとお互いの歩んできた道が重なり合い折り合いをつけていきますが簡単には折り合いがつきません。ここまでと線引きしても、それを超えてお互いにせめぎ合うのです。

世界の中でも現在、いろいろな国々も思惑から外交が続けられていますがその国の歴史がどうであったか、その国の価値観がどのような歴史によって仕上がってきたか、よく現地の人々の暮らしや生き方に目を向けてみればその心理や方向性なども洞察することができます。

そういう意味では歴史的建造物はその国の価値観を色濃く反映されているのです。引き続き、長く文化を交流したくさんのことを教えていただいた隣国中国から近未来の動向を洞察してみたいと思います。