家の歴史的価値

空き家問題で世界と比較すると、ドイツなどは空き家が1パーセント以下という状態を保っているのがわかります。もちろん中古住宅の流通が発展していることもありますが、その根底にあるドイツ人の価値観が影響しているように思います。

日本では、古いものは価値がなく、新しいものこそが価値であるという考え方があります。まだまだ使えるのに、新品に買い替えては新しい方が何でもいいと思い込みます。もちろん、新しいものは電化製品でも新しい機能や改善もされていますからそっちの方がいいというのはわかります。しかし物によっては、古くなる方が味が出るものがあったり、古いものこそが価値があるというものもあります。

しかし、現在の骨董品や古美術を含め日本ではあまりアンティークなどの品物は流通せず常に新しいものばかり、使い捨てのものばかりの流通が盛んです。身近なところに古い価値のあるものがなくなってきているから余計に古いものの価値を感じなくなっているのです。ドイツ人は物に備わっている経年変化や「歴史的価値」というものを大切にしているのでしょう。日本人はいつからそういうものがなくなったのかと不思議な思いがします。

日本では住宅の価値は22年も経てばほぼ9割は無価値であると評価されます。土地の価値だけになると、駅から近いか、近隣の環境が整っているか、利便性はなど、その土地があるところの価値だけの評価になります。実際には、家は古くなればなるほどに歴史的な価値も向上するはずですがその価値はまったく尊重されることはありません。

まだ住める家かどうかが重要ではなく、価値があるかどうかで家が売り買いされ、ほとんどが新築になっていきます。車社会になってからは、市街地の家を解体して建て直すのではなく少し離れたところの土地を整備しそこに戸建て住宅を販売しています。それがまた年数経ったら空き家になるのは、駅からも遠く利便性も悪く、土地の価値もなくなっていくから買い手がつかないのです。

人間はいい町に住みたいや環境の豊かなところに住みたいというまちづくりと関係する部分と、素敵な家に住みたいという部分があります。この豊かな町で素敵な家にというものは、その人物や民族の価値観がどうなっているかでその後の空き家につながっていくのでしょう。全体善を考えたり、伝統や伝承を考える少しの心の余裕が物の見方を変えていくのでしょう。

このままでは近い将来に世界一の空き家大国になってしまうことは統計からも証明されています。子孫のことを考えてみても、空き家ばかりが遺されたスポンジのような風景や、幽霊屋敷のように壊れて廃墟と化していく街並みなどは観たくはないはずです。

だからこそここで必要なのは、価値観の転換であり古いものの中に価値を見出すという事例が増えていくしかありません。本来、日本人の持っている精神でもあった「もったいない」というものは、目には観えないものへの思いやりや価値を大切にするという生き方のことです。

空き家が増えていくのをみると、「もったいない」と感じます。心の空き家や隙間ばかりが増えていかないように、日本古来からの家の歴史的価値を復古創新し今に伝承していきたいと思います。