自分を気にし過ぎること

人は自分のことを気にするあまり他人からの評価が気になるようになります。また自信がなければ余計に相手がどう自分を思っているかということを気にして自分の行動基準が他人からの評価基準になってしまうこともあります。

本来、人間は自分がどうしたいのかが先にありそれをどう周囲と折り合いをつけながら取り組んでいくかということを考えるのですが自分のことを気にするあまり周囲と関係を上手く築いていくことができなくなるのです。

自分のことを気にし過ぎると、ありのままの姿が分からなくなります。同時に他人も自分のことも分からなくなります。自他が不明ですから、その人の存在は周りにとっても気になる存在になるのです。気になる存在になれば余計に周りは気にしますから、当人もまた周囲の目が余計に気になり自分のことばかりを気にしオープンな対話ができなくなるという悪循環に陥ります。

自分を気にする癖を何とかしなければなかなかそれを取り払うことができません。そのための一つは、相手がもしも自分だったらと相手の立場にたって思いやり物事を考えていくことです。自分を気にするのは、相手のことよりも自分の心配をし過ぎるからです。相手からどう思われているかということを基準にするのではなく、相手の立場で思いやり相手が自分だったらどんな気持ちだろうかと自分から離れて相手のことを慮ってみるのです。すると、相手が自分をどう思っているかというバイアスが消えてきっと相手にも深い理由があっているのだろうと心を共感することができるようになります。頭で考える自他ではなく、心で共感する自他になれば次第にオープンな気持ちで素直に対話ができるようになります。これも訓練していくしかありません。

もう一つは、全体快適といって自分だけの視野に囚われず全体が快適になるように自分を使っていくことです。自分ばかりを気にするのではなく、みんなにとって自分はどんな環境になっているだろうかと自分自身を見つめるのです。例えば、みんなが不愉快にならないように笑顔でいることや、安心できるようにオープンに自分からふるまうことなどをしていれば次第に自分のことが気にならなくなっていきます。どんなに環境がオープンでも自分を気にすればすぐに人間関係はギクシャクするものです。それは1対1の関係でも同じく、自分を気にする人は素直に対話ができません。

全体にとって快適であるかは、同時に自分も快適であるかということにつながっていきます。今の時代のように歪んだ個人主義で、それぞれの個がバラバラにされてしまっている環境の中で自分を気にし過ぎる人は増え続けています。だからこそ自分に囚われないように日ごろから全体快適であることを優先する意識を持つ習慣を訓練していくしかありません。

そして最後は、自分は何のためにそれをやるのかという初心に専念していくことです。自分の真心はどうしたいのか、自分はどう生きるのかと自分自身の決めた生き方に集中していくことで相手よりも自分の問題にしていくことです。自分自身との問題であれば相手は関係なく自分に打ち克つための修行になります。そういう意味では自分を気にし過ぎるかもしれませんが、それを逆手にとって自分の決めた初心を気にし過ぎるくらい反省を繰り返す訓練をすればいいのです。そうすれば、自分の生き方を貫くうちに気になる基準が変わり自分らしく自然体であるがままをみんなに見せられるようになり周りも安心してくれるでしょう。

これらの訓練というのは、積み重ねていくことで意識も価値観も変化していくものです。過去のトラウマも訓練というリハビリによって少しずつ薄れていきます。最初は勇気が要りますが、少しの勇気からでもはじめてみればいつかは自然体で自分らしくそして周囲と仲良く楽しく過ごしていけるような豊かな人間関係が築けます。

子どもたちが同じようになったときのお手本になれるように、生きるリハビリ、認め合い信じあう訓練と仕組みを実践していきたいと思います。