過去帳の今

昨日、先祖代々の菩提寺にお伺いし過去帳を拝見する機会がありました。現在では、個人情報保護の観点から過去帳を他人に見せることが禁じられています。一部には戒名から差別的なことを調査することもあったりしてほとんど見る機会がありません。

そもそもこの過去帳とは、寺院で檀家・信徒の死者の俗名・法名・死亡年月日などを記しておく帳簿のことです。今回拝見した過去帳は、鎌倉時代から残っていて古い和紙に墨で書かれた字は今でもはっきりと残っていました。

現在のマジックペンや筆ペンなどで書くと、あっという間に字が消えてダメになってしまうそうです。和紙も普通の紙では数十年もつこともありません。いくらパソコンで記録しても、OSや機器が変わってしまえば開くこともできません。

そう考えてみると、古今から和紙と硯で墨をつくり書いた字が何百年ももつということが歴史からも証明されているのです。ご先祖様の知恵は偉大だと感じさせてもらう機会になりました。

また、名前も名字が出てくるのは明治以降でそれまでは名前しか出てきません。しかしよく拝見していると、何歳で亡くなったかというところをみればまだ子どものころであったり、働き盛りであったり、大往生であったりと、それにたくさん子孫が分かれたり、何度も結婚していたりと、いろいろとその人の人生が観えてきます。

出てくるのは享年の数字だけですが、 その人はどのような人生だったのだろうか、そして子孫がそれを見ているのをどう感じるだろうかとも思いを馳せるのです。私もまたいつかは寿命が尽きて過去帳の中に書かれます。そして新たな人が現在を生きて、私が過去になっていくのです。

そう考えると、何をするかではなく何のために生きるのか。死を思うのです。生きていると死ぬことが遠くにあるものですが、過去帳を拝見したり過去に遡ったりすることは今を強く感じさせるものかもしれません。

今を大切に、今を愛して歩んでいきたいと思います。