山を育てる

先日、京都の鞍馬山に訪問して倒木で山が破壊されている惨状を見てきました。昨年の台風の猛威の爪痕が激しく、山肌が丸ごと裸になり、木々が何かに抉られたように折れたり根っこからひっくり返ったりしていました。

お話をお聴きしていたのと目の当たりにするのは全く別もので、自然災害というものの大きさ、その巨大な力には畏怖の念だけが湧いてくるだけです。これからどのように木々を片付けて新しい山にしていくか、お寺も100年後、1000年後を見据えて復興計画を練り直しておられるようでした。

山には林業というものがあります。これは森林を育てて、人間生活に利用するのを目的とする産業のことをいいます。私たちは都市に住んでいますが、むかしは里山といって山と里が調和した暮らしを実現していました。山と暮らしていくことで、山の恩恵を受けて私たちは暮らしを維持していました。

その山を手入れしていたのは人間であり、人間が森林と上手に付き合っていく中でその山を育て人間と共生していくように仕組み化されていたのです。現在では山は荒れ放題になってきて、人間と共生できないような山が増えています。

林業では様々な諺があります。

「一年の計は田を作るにあり、十年の計は木を植えるにあり、末代の計は人を教えるにあり。人のまさに死せんとするや、その頭まず禿げ、一国の亡びんとするやその山まず禿ぐ。一国の盛衰はその山林を見ればわかる。児童なき人民は希望なき未来を有し、樹木なき国家はまたこれと相似たり。河を治むるはその源を養うにあり、源を治むるは山を治むるにあり、樹芸の道ここにおいて過大なり。森林は著しき酸素の製造所にして、炭酸ガスの消滅所なり。」

一年の計は田んぼをつくること、十年の計は木を植えること、永遠の計は人間を育成することである。まさにその通りです。さらに人が死ぬとき頭が禿げていくように山も死ぬときは山も禿げていく、一国の様相は山の姿を観ればわかると続きます。

かつて奈良に「日本林業の父」と呼ばれる土倉庄三郎という人物がいました。この人物は、林業だけに留まらず治山、道路整備や日本の教育、文化を支援を行いました。しかしこれは林業の本質につながっているように感じます。たとえばこう言います。

「林業にとって、もっとも重要な作業は何だろうか。すぐに頭に浮かぶのは、樹木の伐採だろう。だがそれ以上に重要なのは木材の搬出である。伐採だけなら、オノやノコギリがあれば個人でも可能だ。しかし倒した大木を人里まで運ばなければ木材として利用しようがない。しかし木材は重くてかさばる。動力機のない時代、木材を運ぶには多くの人力と斜面や川の流れを利用した大がかりなシステムが必要だった。だから林業の要は、木材の搬出にあるのだ。」(樹喜王 土倉庄三郎より)

木材を搬出するには、道を切り拓く必要があります。道路整備は林業には欠かせません、また人材教育もまた山を守るためにも必要ですし、田んぼの維持のためにも必要です。そして文化も日本のために必要なものでこの根があるから木が育ち山を保てるのです。

林業というものは奥深く、山を仰ぎ見るときそこに山を育ててきた人間の智慧と人格を感じます。もう一つ、こういう諺があるのを知りました。

「造林は親を細めて、子太る。木を立てて、見せてセガレに、親となる。夫婦仲なら焼いても良いが、焼いていけない家と山。山は裸で器量が下がる、植えて緑の晴れ姿。山高きがゆえに尊からず、木をあるをもって、尊むべし。盆の仏は、家には行かず、まず山に行く。学者と大木はにわかにできぬ。」

山の姿の中に人間のあるべき姿が観得てきます。山に入れば山から学び、何かを頂いて外で出てくる。以前、千日回峰行の僧侶の方が山で自らを磨き上げ山から掴んだ智慧を民衆に伝道していこうとされていたお話を思い出しました。

山にはそれだけ人間を真の意味で学び直させる何か、空気感というか「気」があるようにも思います。その気を学び直すことは、元氣を学び直すことですから人間は山を求め道を探すのかもしれません。

鞍馬山がどのように甦生していくのか見守りながら、私も日本の甦生に向けて100年、1000年後を見据えて山を育てていきたいと思います。