弱さこそ強さ

人は弱さを否定して強くなるよりも、弱さを肯定して手に入れる強さの方が本当の意味で真の強さを手に入れることができるように思います。弱いものがダメで強いものがいいということが叫ばれる競争社会の中で、本来の強さとは何かということを一度向き合う必要があるように思います。

大前提に競争社会の中にいれば、弱さはまさに命とりになります。強ければ生き残り、弱ければ消滅する。弱肉強食であると教わってきましたが、実際には自然界は人間が言うような弱肉強食をしていません。

むしろ共存共栄をして助け合って存在しているのです。

そのために、確かに見た目には弱肉強食をしているように見えますが実際には弱さを力にして強みに替え、強さを謙虚に必要最小限で生きていきます。人間の言う身勝手な弱肉強食は、個としての強さ、権力的な強さ、能力的な強さこそ力だというような言い方をして弱さを否定します。ここでの弱さは、個としての弱さであり能力及び、あらゆるものが非力であることがダメであるとしその逆を強さと呼ぶのです。

自然界は、弱さを強みにして、その弱さを絆にしてつながり合っています。例えば、一人ではできないことはみんなで力を合わせます。これは弱さが強みになった瞬間です。

チームや仲間を形成するのは、それだけ私たち人間が弱い存在であったからです。特に恐竜の時代も含め、私たちは非力な存在でした。一人ではどんな動物にも負けてしまうほどの弱さがあったのです。それを強みにするために、私たちは協力し協働して弱さを絆に結び付きました。

現在では、身体的な武器が弱いからこそ道具を発明しここまでの科学を発展させたのも弱さを強みに替えたのです。

弱いからダメという発想は、本来の私たちの人間の真の強さの否定になっています。その証拠に、現代は個ばかりが強調され協働することや仲間と共生することなどが蔑ろにされています。

本来の私たちの最大の持ち味まで捨てて、単なる目先の力に頼ろうではあまりにも視野が短く狭いように感じます。未来の子どもたちは、もしかしたら今よりも大変な自然災害や人災に巻き込まれることもあります。その時、どのように乗り越えていくか。私たちがそれを繋いでいく責任があります。

弱さは私たちの最大の武器であったことを、正しく伝承して大変なときこそ力を合わせて乗り越えてほしいものです。子どものためにも、私たちは古に学び、今に智慧を甦生させていきたいと思います。