岐路

国連から提案された「SDGs」というものがあります。
このSDGs「SustainableDevelopment Goals(持続可能な開発目標)」の頭文字を取った言葉で、2015年9月の国連総会(連加盟国193国)で採択された具体的行動指針のことです。すでに2001年に策定されたミレニアム開発目標(Millennium Development Goals:MDGs)の後継として国連で定められ2016年から2030年までの国際目標として認知されています。具体的な行動指針は、17のグローバル目標と169のターゲットからなり、飢餓、貧困、気候変動の進行、生物多様性の劣化などすぐにでも解決したいと思われる項目が入っています。
日本政府も「SDGs NOW! 17 Goals to Transform Our World」の動画で告知を展開しています。17の項目と169のターゲットは、総務省のサイトからPDFをダウンロードできます。この共通のキーワードの「持続可能」というものが何度も提言されるのは、言い換えれば近い未来に持続不可能な社会が訪れようとしているということです。
持続不可能な社会とは、では何かということです。それは人間がこの地球上で生活することができなくなるということでしょう。その理由は様々にありますがもっとも大きな原因は、自然と人間が乖離している世の中にしているからだと私は思います。
そもそも人間も自然の一部であり、自然物です。その自然物であったはずの人間が、人工物を創り上げ自然から乖離した都市というものを形成しました。そしてその都市というものを、自分たちの中で快適な仮想空間にしそこに消費を通して資金が流通するような仕組みを構築しました。都市の中で行われていることが自然とは別物ですから、その都市に運び込まれる様々なものは自然を搾取したものになります。
大量に生産し、大量に消費する、そこで都市を機能させますから消費されて捨てられていく自然の破壊の量が明らかに自然が創造するスピードを超えたとき持続は不可能になります。
自然の利子で暮らしていた時代から、自然へ借金して暮らす時代へと移ったことが今の持続不可能な社会を実現させてしまいました。しかし人間の欲望は果てしなく、自転車操業のように走り出したら止まれない今の世の中で如何に方向を転換しようかとそれぞれの人たちがそれぞれの場所で向き合っています。
自然と共生していた時代の懐かしさは、今のグローバリゼーションの波の中で消えかけているように感じます。もはや、このまま人類は滅亡に向かっていくのか、それともここで自然に帰るのか。もしくは第3の自然と共生する世の中にするのか。それは現代の世代の一つの大きな使命であることは間違いありません。

だからこそ、私たちは何をもって自然と共生するというのか。そしてどのような暮らしが自然を尊重して自らを立てることになるのか。
人類の自立に向けて、みんなで協力し合ってその答えを生きていくために挑戦を続ける必要があるのです。

子どもたちが100年後も1000年後も安心して、楽しく豊かに生きていくことができる社會を遺してあげたいとみんなそう思うはずです。
手と手を取り合い、子どもたちのために協力していきたいと思います。