BAへの挑戦

人間が成長するとき、それは失敗を経験するときのように思います。上手くいかないことが増えれば増えるほど、自分の持てるすべてを発揮して挑もうとします。その上で敵わないと実感するときや、コテンパンに打ちのめされるとき、さらに実力をつける必要を感じて正面からやり直そうとするものです。

人は知らず知らずにうちにわかった気になったりして基本や基礎を磨くための鍛錬を怠るものです。とても地味なその訓練や場数こそが、さらなる飛躍を与えてくれます。

世界のHONDAとして、今でいうユニコーン企業にまで発展させた創業者に本田宗一郎氏がいます。何かに挑戦するとき、その挑戦する生き方や生き様にとても勇気をいただきます。その言葉をいくつか紹介します。

「失敗もせず問題を解決した人と、十回失敗した人の時間が同じなら、十回失敗した人をとる。同じ時間なら、失敗した方が苦しんでいる。それが知らずして根性になり、人生の飛躍の土台になる。」

問題とは、上手くいったときに出てくるものではありません。上手くいかないからこそ人は本気になり真剣になります。何度も何度も挑戦しているからこそ、根性が磨かれるのです。

「困らなきゃだめです。人間というのは困ることだ。絶対絶命のときに出る力が本当の力なんだ。人間はやろうと思えば、大抵のことは出来るんだから。」

本当の力とは、出し惜しみする力ではなく絶体絶命の境地で全身全霊が出てくるものです。人間は必ず夢を実現できると根底から信じるからこそ、無理難題に挑むのでしょう。それはこの言葉にも出ています。

「人類の歴史の中で本当に強い人間などいない。いるのは弱さに甘んじている人間と、強くなろうと努力している人間だけだ。」

だからといって、自信があったわけではないとも言います。勇気を奮いだして挑んでいたことがこの言葉からもわかります。

「苦しい時もある。夜眠れぬこともあるだろう。どうしても壁がつき破れなくて、俺はダメな人間だと劣等感にさいなまれるかもしれない。私自身、その繰り返しだった。」

失敗をしてきた人ほど、苦労してきた人ほどに、自分を励ます言葉をたくさんもっています。同時に、他人を励ます言葉も持っているのです。本田宗一郎は、「抵抗こそ伸びるチャンスだ」と捉えていました。

人間は必ず次に向かおうとするとき、大きな試練が待っています。その試練があるからこそ次のステージで活躍できる原動力になるのです。その活躍のための試練は失敗連続ですがそれが自分を鍛え磨き、道へと導くように思います。最後に、この本田宗一郎氏のこの言葉で締めくくります。

「私の最大の光栄は、一度も失敗しないことではなく、倒れるごとに起きるところにある。」

私もこのBAへの挑戦が、子どもたちの希望になるよう全身全霊で挑みたいと思います。

看板、暖簾、商標のつながり

看板の歴史を深めていると、暖簾、そして屋号や商標の歴史にもつながってきます。暖簾も平安時代ころから使われていたといわれます。最初は日差しをよける、風をよける、塵をよける、人目をよける、などを目的に農村、漁村、山村の家々の開放部に架けらていたそうです。

それが鎌倉時代の頃には暖簾の真ん中に、さまざまな文様や屋号が描かれるようになったといいます。それが室町時代になると、あらゆる商家がそれぞれ独自の意匠を取り入れ、屋号や業種などを伝える看板の一つになっていったといいます。

しかし文字が読めない人がたくさんいましたからそこには動物や植物から色々な道具類のかたち、天文地理から単純な記号等で描かれたとあります。その描かれたものがそのまま屋号になったケースもあったそうです。

実際に暖簾に屋号などの文字を見かけるようになったのは桃山時代で、江戸時代に入り人々の識字率が高まると文字の入った暖簾になっていったといいます。そこから、屋号、業種、商品名等文字を染め抜いた白抜きのデザインが多く見られるようになり 商家の看板、広告として発展し同時に暖簾に使われる色も多様化したといいます。

看板も暖簾と同じ歴史を辿っていますから、ほぼ暖簾と同様に絵から文字になり、屋号になり、商標になっていきました。現代の看板の原型はこのようにして発展してきたということです。看板という字は、看(み)せるための板(いた)という意味だそうでその文字になる前は”鑑板”の文字を当てられていたといいます。現代の看板ではロゴや商標が描かれています。

この商標はトレードマークといわれたり、ブランドといわれますがもともと家畜などに焼き印を施し、他人の家畜と区別したのが始まりだといいます。何人もの放牧農家が入り交じって放牧を行うと、どれが誰のものか分からなくなります。そこで、焼き印を押すことで、自分と他人の家畜を区別できるようにしておけば、それぞれの家畜の所有者がすぐに分かりました。さらに、良質な家畜を提供する生産者のものであることを、第三者、例えばお客さんが選ぶこともできるためこの方法をとられました。

商標とは、商品やサービスを提供するときに使いますが昔の家畜に焼き印を入れていた歴史があってのものなのです。

看板や暖簾に描かれる商標とは、このような歴史が凝縮されたものです。今、建造中のBA(場)はどのようになるのか、今、まさに検討中ですが新しい幕開けを楽しんでいきたいと思います。

看板の甦生

今度、BAの開設にあたり看板を制作することになります。その看板は江戸時代の木製のものを磨き直し甦生させ、アートディレクターがデザインを温故知新したものを後輩と一緒に手作りで魂を籠めて造りこんでいく予定です。

現代では、景観のことをまったく無視したような統一感のない看板が都市部だけではなく田舎にも乱立しています。特に夜になればLEDランプ等でガチャガチャと照らされ風情を感じるものも少なくなってきました。

そもそも看板とは何か、その歴史を含めて深めてみようと思います。

看板の歴史はとても古く、イタリアのポンペイ遺跡や前3000年のバビロン時代に明らかに看板とみられるものが見つかったといわれています。そして日本では大宝律令の開市令に「肆標(いちくらのしるし)」を表示することが定められ、これが看板の始まりとされています。奈良県の長谷寺などへの寺社への参詣客でにぎわった街道に出店した市である「三輪の海拓榴市(つばいち)」に見てとれるそうです。

この時の看板は、何を取り扱うのかを伝えるためのもので屋号などはなかったそうです。むかしは文字が読める人が少なかったので、そのものに関する道具(お酒や味噌を創る道具等)をそのまま看板にしたり、商品そのものの絵を描いて伝えていたといいます。

それに商売的な要素が組み込まれたのは江戸時代に入ってからといわれます。江戸の商工業の発達と共に職種による看板の定型化が進み、それに金箔、蒔絵などを施して豪華さを競い、広告として大金をかけるようになったといいます。

確かに、それまでのシンプルな立て札のようなものから江戸になると急に看板にデザインが入ってくるようになります。そのため一時期は看板は木地に墨字、金具は銅製に限ると幕府が禁令を出すほどに看板は賑わいました。

また京都の町家などでは、格子戸の形状で自らの商売を伝えていたところもあります。炭屋、糸屋、麹屋、米屋などもありました。

看板の種類として多かったのは軒看板で暖簾と同じような目的で、朝晩店を開ける時と閉める時に掛け外しました。特にこの軒看板は古ければ古いほど店の値打ちがあるとされ、永続して信頼されている店舗として大変価値がある店であるとし、ひとつの指標として使われたといいます。

看板の名に恥じないようにや、看板に泥を塗るという言葉があるように、看板とは信用であったという意味もあるように思います。特に年代ものの看板は、それだけ大切に代々看板(生き方)を磨いてきた証だったのかもしれません。

看板の諺では「一枚看板」というものがあります。これは京都・大阪地方の上方歌舞伎には、劇場の前に飾る大きな看板のことを「一枚看板」と呼んだことからきています。江戸では大名題(おおなだい)と呼びました、具体的には、この看板の上部にメインの役者の絵が描かれていたことで歌舞伎などの芝居一座で中心となる人を「一枚看板」と呼ぶようになりました。看板娘というものも、もっとも看板を背負って活躍する人物ということになります。

まだまだ看板は奥が深いのですが、看板には下位概念としての宣伝目的と、上位概念としての生き方の顕現があるように思います。本来の看板は、何を生業にするかという意味と同時に、その看板に相応しい生き方を実践したかということが合致していたのでしょう。

今度、取り組む看板もまた復古創新の「場」に相応しいものにしたいと思っています。子どもたちのために、伝統を伝承して文化を繋いでいきたいと思います。

思いの呼吸

人の「思い」というものは、時代を超えて存在しているものです。例えば、先祖代々の思いは子孫たちの思いの中に息づいていつまでの残存しています。その思いに触れるためには、先祖と同じ生き方をするときに触れられるものです。

私たちは日常の生活の中では、その思いを持っていてもその思いに気づきません。なぜなら、その思いは澄み切って醸成されたもので、まるで空気のように無味無臭です。しかし空気のように、心を澄ませて深呼吸すればその思いに気づきます。

私たちは生き方を変えるとき、生き方に触れるとき、その空気を呼吸して力に転換することができるのです。それは必ずだれにもできます、なぜなら私たちは「思い」を共有することができる生命だからです。

だからこそ、「思い」に人が集まるというのは、その思いを呼吸する人たちということになります。同じ思いを空気のように呼吸することでその思いが共鳴し共有され、人々が場に集います。

その場に集うことで、新たな思いが重なりその思いがまたさらに磨かれて澄み切って光ります。長い時間をかけてきて磨かれた思いは、その時代、その代々の子孫によって大切に守られていくのです。

子どもの仕事をするというのは、その視座において子どもに何を譲っていくのかを真摯に向き合って取り組む仕事であるべきです。私は子ども第一義の理念をもって実践していますが、思いによって助けられ、思いによって活かされています。

思いこそ祈りであり、思いこそがいのちの呼吸なのです。

暮らしの中の思いの呼吸を大切に、日々の実践を積み重ねていきたいと思います。

 

いのちを磨く

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という諺があります。これは自分の命を犠牲にする覚悟があってこそ、初めて窮地を脱して物事を成就することができるという意味で使われます。

この「覚悟」を顕す言葉は、まさに人間の持つ決心や本気を示す諺でもあります。何かに取り組もうとするとき、全身全霊で取り組む人とそれなりに取り組む人がいます。

同じ一回の出来事でも、真剣である人はその場数は確実に自己を錬磨していきます。そうやって磨ききった人のことを百戦錬磨の人とも言われます。この百戦錬磨の「百戦」は数多くの戦いのことで「錬磨」は練り磨くことをいい、多くの戦いにのぞんで武芸を鍛え磨くことをいいました。

覚悟の力とは、この真剣勝負の場数によって高まり磨かれていくように思います。その覚悟の心は、身を捨ててこそということなのでしょう。自己保身や他人の評価を気にしたり、自分の初心を忘れたりしていては錬磨することができません。

どんな日々であろうが、どんな挑戦であろうが、やるからには身を捨てる覚悟で取り組む人には真剣や本気の凄みがあります。

先日、致知出版の巻頭言で坂村真民さんの詩を拝読して感じ入るものがありました。題は「鈍刀を磨く」というものです。ここに覚悟ある人の生き方を見てとれ、どんな場所でもどんな場数でもそれでも磨くことの大切さを語られていましたので紹介します。

『鈍刀を磨く』

「鈍刀をいくら磨いても 無駄なことだというが 何もそんなことばに 耳を貸す必要はない せっせと磨くのだ 刀は光らないかも知れないが 磨く本人が変わってく つまり刀がすまぬすまぬと言いながら 磨く本人を光るものにしてくれるのだ そこが甚深微妙の世界だ だからせっせと磨くのだ」

ここでは光るかどうかではなく、真剣に磨くかどうかを語られます。そもそも真剣という意味は「本気で取り組む」という意味です。木刀や竹刀ではなく、いのちのやり取りをする真剣を使うという意味。

どんな場数であっても、それを木刀や竹刀のぬるま湯の危機感のない中でやる練習と、真剣勝負の覚悟や本気でやる練習では「磨く」という意味の本質が変わってきます。

つまり下位概念の磨くは、単なる訓練や練習のことを指しますが上位概念での磨くとはいのちを削り研ぎ澄ませていくということであることはすぐにわかります。いのちを削るというのは、本気で取り組むということです。

今の時代、マンネリ化しやすく別に本気でなくても本気風でやって無難であっても失敗しなければある程度の評価はされます。しかしそれでは、自己研鑽になっていくこともありません。

子どもたちに生き方を伝承していくためにも、覚悟を決めていのちを磨き続けることを味わっていきたいと思います。

 

バカになる

人間は生きていく上でたくさんの知識を経ていきますが同時にたくさんの偏見も持つものです。実際に人を見るときに、あるがままの人を観る人と、偏見からその人のことを観えなくなっている人がいます。

こんな人だろうと思い込めば思い込むほどに、その人の本当の姿が隠れてしまいます。人間はほとんどのことを思い込みで見るようになるのは、それを知識でカバーする術を持つことができるからです。

現代社会においては、本来の信頼や信用があるような立場の人物の不正や不祥事などのニュースが日々に流され、不安や不信からまたそれを別の知識で覆いかぶせようとする風潮もあります。しかしそれをよく洞察していると、果たして本当のことがどれだけ報道されているのだろうかと疑問に思います。

例えば、今回の災害でも被災地に行けば本当のことがわかります。しかし報道ではその一部の編集者の主観や、上司の方の偏見で判断されて報道されると私たちはそれを鵜呑みにしてしまいます。

実際には内容の大部分を編集をして短く要約される過程で編集者の主観が入り、さらに真実や本当のことがわからなくなってしまっています。現代は日々に入る情報が膨大な情報化社会ですから情報の本質を確かめるリテラシーを身につけなければなりません。しかしそのリテラシーは単に情報量や知識の判断を持てばいいということではなく、人間本来の「直観力」といった、目や脳だけに頼らない力が必要になると私は思います。

その直観力をどのように磨くかといえば、今までで身に着けてきた偏見や余計な知識を削り落としていくことです。あるがままにその人が観えることや、ありのままを受け取るというのの最大の邪魔は偏見と知識です。だからこそ経験を積めば積むほど、知識を増やせば増やすほどに今度はそれを削り落としていく努力が必要になるのです。

誤解を恐れずに言えば「バカになる」ということでしょう。

あるがままの自然を観たり、ありのままの自然で観えるには、頭で考えずに直観し、それを自然に照らして内省して真っさらにしてからもう一度、知識や言葉で説明する必要があります。

人間は言葉を使い、知識を持ちますからその本来の技術を正しく活かす必要もあります。だからこそ、私たちは日々に学びますが、その学び直しも同時に研鑽を積むことで本質や本物、真実を見極める力が備わるのでしょう。

今のような時代、そういう人物たちが世界で真実を語り合い本来あるべき世の中に原点回帰させていきます。子どもたちに新しい学び方や生き方を伝えていきたいと思います。

自分を生ききる

世の中には色々な人がいます。何かに突出した才能を持っているがいますが、その人は一部では障害だと分類され苦労もしています。何かに秀でればその逆に何かは削られていきます。それが才能ですから、人は目的に合わせて自分の才能を磨いていくうちにその人のオリジナリティが開花していくように思います。

しかし、その過程において協力してくれる人たちがいるかどうかはとても大切なことのように思います。自分の才能を活かすにも、その才能を活かすために支えてくれる人、使ってくれる人が必要になるからです。

お互いの組み合わせた、それぞれの能力の掛け合わせによって私たちは偉大なことができていきます。決して一人ではできないことも、みんなの持ち味や才能を合わせれば不思議なこともまたできるようになっていきます。

それは言い換えるのなら、それぞれの才能が磨かれ「徳」が出てきたともいえるのです。この徳というのは、自然界が創造する場のようにありとあらゆるものが調和していのちを開花させていくようにみんなの協力によって顕現していくものです。

誰もが真摯に自分を生ききり、それを助けてくれる存在があることを信じて生きていきます。花に蝶や蜂が飛来して花粉を繋いでいくように、太陽や雨がいのちを育むように自分を生ききると必ず誰かが手を差し伸べてくれます。

どんなに自分が周りと違うことで差別されたと思っても、周りを卑下したり、文句を言ったり、復讐心を抱いたりすることでは徳は出てくることはありません。徳は、自分自身を生ききることで次第に周囲と和合して顕れるものだからです。

自分を生ききるには、いのちへの感謝が必要ですが同時に自分を信じることが大切です。自分自身の才能を自分が信じ、周囲への感謝を忘れずに子どもたちに伝承していきたいと思います。

和の調菜人

聴福庵では炭火を使った湯豆腐料理をすることがありますが、地下水と備長炭の絶妙の調和で美味しく仕上がった湯豆腐はいつも来庵した人たちの心身を癒し喜んでもらっています。

この湯豆腐は、江戸時代の中期には日本人の生活に根づいたそうですが江戸初期にはまだ特別の日のときの食べ物だったといいます。特に農民にとっては非常に贅沢な料理でいつでも食べられるわけにはいかなかったようです。

実際に徳川家康と秀忠の時代には村々ではうどんやそばと共に豆腐の製造も行ってはならず、農民がそれらを食べることも許されない禁令が出されていたといいます。さらに家光のときの「慶安御触書」には豆腐は贅沢品として、農民に製造することを禁じています。 そのころの将軍家の朝食は、豆腐の淡汁、さわさわ豆腐、いり豆腐、昼の膳には豆腐をいったんくずして加工したものが出されていたといいます。

実際に湯豆腐の料理は、水、昆布、豆腐だけです。実際の調理方法は、地下水のチカラ、炭火のチカラ、鉄鍋のチカラ、そして素材のチカラだけです。これらのチカラを如何に引き出すか、それは私の和の調理の原点でもあります。これらは精進料理ともいいますが、だからこそ澄み切った深い味わいを楽しめるのです。

そして豆腐の80パーセントから90パーセントは水分ですから、この水が重要なのはすぐにわかります。そして豆腐をつくるのは熱ですから火です。この水と火の具合をよく直感し研ぎ澄ませて手間暇と時間をかければ必ず人間が全身全霊で美味しいと思えるようなものができてきます。

私は調理師免許などもなければ、料理人として生計を立てているわけではありません。しかし暮らしを甦生するなかで、何が本来の料理だったか、何がはじまりだったかは学んできました。

学びというものは、単に知識を得て資格を取る事ではありません。すべて伝統の智慧や先人の努力の積み重ねた今の中に生きていますからそれを謙虚に学び、それを今に甦生させていくだけでいいのです。

世界に誇る、日本ならでは和の料理とは実にシンプルなものです。

今日も、先祖が深く関係しご縁があった懐かしい来賓があります。主人のおもてなしと生き方を観ていただき、一緒に団欒を味わいたいと思います。

尖がるということ

私はよく人から尖っているといわれることがあります。この尖っているというのは、大辞林には① 先が細く鋭くなる。とんがる。 「 - ・った鉛筆」 「口が-・る」② 感じやすくなる。過敏かびんになる。 「神経が-・る」③ 声や表情が怒りで強く鋭くなる。と書かれます。

実際に私が使われている尖っているというのは、比喩的に他と比べて非常であることや偏って突出しているという意味で使われます。これは自分の得意なところを伸ばしてきたといっても過言ではありません。

自分の得意なところを伸ばすというのは、自分にしかない武器を磨いていくということです。自分の武器とは、自分の持ち味であり自分の持っている強みを磨いた先に出てくるものです。

どんな刀であっても、研いで手入れしていなければなまくら刀になってしまいます。自分の刀は自分で磨かなければなりません。そのためには何を砥石に磨いていくか、そしてどれだけ鍛錬を積み重ねて自分にしかないものにしていくかはその人の求めている志の高さや想いの広大さ、そして真剣に打ち込んだ場数が決めていきます。

そしてそれがある一定以上の極みまで達した時、その人の強みになるのです。その強みがはっきりすればするほどに周りはその強みを活かそうとします。その強みが世の中に対して明確に使われるものになるからです。強みを周囲が理解すれば持ち味も活かせるのは自明の理です。

しかし私はそれだけでは決して「尖る」まではないように思います。この尖るというのは、覇気が必要です。覇気とは、強い意志であり、本気の覚悟と行動と実行であり、積極的に取り組む意気込みのことです。

これが持ち味と重なったとき、人は自分にしかない武器を持つことができます。そしてその武器があれば、世界の一流の人たちと渡り合うこともできるようになるのです。

若いうちから尖がっている人は、自分を持ち、自分の意見を貫いてきた人です。そして自分が意見した以上、その言葉に責任をもって挑戦と冒険を続けてきた人です。私の同志も戦友もまた、一緒にこれをやり切ってきた人物です。

だからこそ今、一緒にいることで勝負できるようにおもいます。お互いにここまで切磋琢磨し合ってきたからこその今があります。夢の実現に向け、挑戦を続けていきたいと思います。

 

 

マインドフルネス

マインドフルネスという言葉があります。これは、「マインド(心)」+「フル(〜で満ちた)」+「ネス(状態)」という単語が合わさったものであり、日本語だと「心が満ち足りた状態」と訳されます。

この言葉が一般的な生活を送る人たちのストレス対処策として広まることになったのは、ジョン・カバット・ジン氏の活動によるものです。具体的には「マインドフルネスストレス低減法(Mindfulness-based stress reduction)」という、慢性的なストレス症状を緩和するためのプログラムを開発し、瞑想やヨーガを、臨床医療の現場に適用して、最初に成果をあげました。

このジョン・カバット・ジン氏は、マインドフルネスをこう定義しています。Mindfulness means paying attention in a particular way: on purpose, in the present moment, and nonjudgmentally.」(マインドフルネスとは、意図的に、今この瞬間に、判断せずに、注意を払うこと)と。

これを私が意訳すると「今、此処のすべてにに心を置く意識」ということになります。私も一期一会を座右にしていますから、同じ心境を日々に実践して生きているとも言えます。つまり「人生のご縁を辿り、ご縁に委ね、すべてをお任せする境地。」これは私のメンターである、鞍馬寺の導師からご指導いただいた境地の実践です。

現在、アメリカで有名な世界的企業グーグルがこのマインドフルネスに取り組み注目をされていました。こういうことをするとすぐに宗教だとか敬遠されますが、グーグルでは瞑想やマインドフルネスを「宗教の実践」であるとみなしてしまうのではなく「人間の営み」として見るようにしたとも言います。

今の時代は、頭ばかり酷使して心が着いてこず、忙しさや繋がりが切れた画一的な競争社会でメンタルを著しく傷つけ、心身が病んでいる人が増えています。そして医者も患者も安易に薬に頼り、症状の悪化を停止するだけで現実を歪めてもさらなる不安を招き苦しんでいる人も増えています。このような悪循環は、人間の社會が本来の人間らしい暮らしを奪ってきたからだと私は思います。

人間はもともと自然の一部ですから、自然の速度があるように心の速度、精神の速度、成長の速度があるのです。じっくりと今を歩き、今を内省し、その今の意味を紡ぎながらずっと続いてきた道を自らの足で歩み続けるとき安心します。それを「魂の行路」とも言いますが、人類はそうやって「今」を生き続けているのです。

それを何かしらの影響で行えないからこそ、人は立ち止まりどうしていいのかわからなくなってしまうのです。だからこそ、仏陀は死の直前の遺言として「自灯明法灯明」といって自然の摂理に従い、自らを拠り所にし、自らを生きよといったのでしょう。この「マインドフルネス」には仏陀の言うような人類の生き方を思い出す智慧が入っています。そしてこれは仏陀に限らず、先祖が「暮らし」を通していのちを全うした先人の智慧が入っています。

私にとってのマインドフルネスとは、つまり人間らしい「暮らし」を甦生させていく智慧の一つです。現在、建築中の「BA」ではその理念の源流にこの暮らしの智慧を凝縮させています。

どのように人々の心や精神、体を救済していくか。私の理想をこの「場」に懸けます。人類の方向を換えていくための手段を研ぎ澄ましていきたいと思います。