一所懸命の今

人間は、「今」というものにどれだけ真剣に打ち込んでいるかはその人の生き方を顕すものです。畢竟、人生とは何かといえば「今の集積」であり、終わりの時は今の集大成なのですからこの今に打ち込めないというのは生き方が定まっていないということです。

仕合せの青い鳥はいつも脚下にこそあるというのもまた、この「今」に対する心構えのことを示しているように思います。

経営の神様と呼ばれた松下幸之助氏はこういいます。

「現在与えられた今の仕事に打ち込めないような心構えではどこの職場に変わっても決していい仕事はできない。」

「どんなに悔いても過去は変わらない。どれほど心配したところで未来もどうなるものでもない。いま、現在に最善を尽くすことである。」

どうしても心が離れてしまうと今からも離れてしまうのが人間です。今から離れないように今に真剣に打ち込む人は、心が今から離れることがありません。つまり「今、此処」に生きています。今、此処というのは、過去と未来がつながる処でありそれは心の在る処です。

以前、「今でしょ」という言葉で有名な林修さんの記事を拝見したことがありました。そこに「今」というものに対する哲学が書かれてあり、そういう意味でもあったのかと感じ入ったことがあります。「今やる人になる40の習慣」林修著にこう書かれてあります。

「例えば、あなたがパン屋さんで、朝早くからパンを焼く日々を送っている、とします。その場合、あなたの焼いたパンを買うお客さんにとって、あなたが楽しそうに焼いたか、あるいはつまらなそうに焼いたか、パンを焼くことが好きなのか嫌いなのか、実はそんなことはどうでもいいことなのです。大切なのは、あなたの焼いたパンは美味しいのか、それともまずいのか、それだけです」

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「嫌いなことをやってお金をもらっているのに、いい加減なことなんてできるはずがない。そう考えて、いつもできる限りの準備をして授業に臨んできました。そうまでしてこの仕事を続けてきたのは、世の中に数多くの仕事があるなかから、自分で選んだんだし、嫌いではありましたが適性はあると感じており、また実際にいい結果がずっと出ていたからです。もちろん、自分の仕事が好きな仕事をしているという人は、それはとても幸せな、しかもめったにないことなんですから、わざわざ嫌いになる必要はありませんよ」

 

いい加減なことをしない、自分本位ではなくお金をもらっているのだから真剣に喜んでもらう、パンで言えばどのような美味しいパンを食べてもらうのか。今でも活躍の場を広げているのは、この方の「取り組みの姿勢」が素晴らしいからでしょう。

私も営業から今に至るまで、どのような仕事であっても好き嫌いかどうかという自分の感情ではなく、本気で善い仕事をしようと真摯に取り組み、自分がやる以上、自分の設定した質の高さを維持しようや、前回よりももっと成長した仕事にしようや、子どもたちのためにも一切妥協しないで心から打ち込もうというようにどの仕事にも誠心誠意全力を尽くしてきました。そして今があります。

一所懸命という言葉もあります。

これは今、自分が与えられた場所で本気で命懸けで取り組んでいくという生き方です。そもそもこれは中世(鎌倉時代の頃)の武士たちが将軍から預かったり先祖代々伝わっている所領を命懸けで守ったことに由来してできた言葉です。この「一所懸命」がその後は「命懸けで取り組む」という意味になり「一所」が「一生」と間違われて「一生懸命」となり、発音も「いっしょけんめい」から「いっしょうけんめい」に変わったのです。

今に一生のすべてをつぎ込むことの集積こそが、自分の人生を真に切り拓いていくことができるのです。選ばない生き方というものは、この今に真剣に生きるということ。まさに私の座右の一期一会の実践をするということなのです。

最期にマザーテレサの言葉です。

「いかにいい仕事をしたかよりもどれだけ心を込めたかです。」

どんな仕事であってもやるからには常に真剣に本気で心を籠めて取り組んでいくこと。まさに真剣勝負の生き方こそ、一所懸命という日本古来の武士道であり根源的な在り方なのです。

子どもたちのお手本になるような歩み方を、今に正対しながら取り組んでいきたいと思います。