智慧の神様

今回、神社建立において思い返すと様々なご縁があってこの機会をいただいていることを感じます。私は、幼いころから神社や境内、御守りが大好きで両親によくせがんでいたのを覚えています。家にはそうやって出かけた場所で買ってもらったたくさんのお守りがあり、それは決して神道だけに限らず数珠やお札などがありました。

それが小学校の頃に入ると、次第に薄れ始め神社の境内や近くの地蔵堂などではよく遊んでいましたがあまり御守りなどには興味がなくなりました。今度は、中学生の頃になると、密教や空海の生き方に興味が湧き、サンスクリットの勉強をはじめ今度は竜神や水神、白蛇などに興味が湧き色々な池や沼などをバイクで探索していました。

そこから高校生くらいになると、中村天風、安岡正篤、吉田松陰など実践哲学や陽明学に目覚め、他にも孔子や老子、中国の様々な偉人たちの本を読み漁りました。大学生の頃は、西洋の文化に興味を持ち海外へ留学しては現地でドラッガーをはじめ、ナポレオンヒルや七つの習慣などの価値観に触れ、成功哲学や自己実現についての考えに触れつつ、美しい教会の大聖堂に魅せられ、ヨーロッパに行けば教会めぐりをしていました。

社会人になってはじめの頃は、山や川、海、人気のないところと子どもたちの感性から学ぶことに夢中になり、暇があれば温泉を深めていました。そして30代に入り、また神社や仏閣の建造物や歴史、伝統文化に興味が湧き、全国各地を訪問しました。同時に自然農といった自然の知恵を活かす生き方や、民族伝承の智慧といったものに惹かれ、実践を積み重ねつつその深さを味わいました。

そして40代になってから古民家甦生に取り組みはじめて、暮らしの知恵や先祖の叡智、伝統の意志や生き方、働き方の転換、最後に「徳」というものに昇華されました。思えば、二宮尊徳に惹かれたのは社会人になってしばらくしてでしたがそこから15年くらいこの「徳」ということが何度も頭によぎりました。

これは私が子どもの仕事をしていることと、ある故人より古い魂の人物ですねと言われたこともあるかもしれません。私は長老の役目というのは、民族を自然に照らして丸ごと善いことへと導くために生き方を示すことのように思います。

私は見た目がまだ若く、長老とはとてもいえるものではありません。しかし、なぜか私の中に流れるものの中に、伝統の知恵や暮らしの知恵、そして自然の知恵や歴史の知恵、様々な知恵が存在することに気づきます。

今回の神社建立は、この「智慧」そのものをお祀りすることによります。八意思思兼神というのは、いわば「長老」の道を司る神です。観念そのものが智慧ですから、その「智慧を神とせよ」という意味になろうと思います。

まさに今の時代、このタイミングだからこそ智慧を祀るということが必要なのです。私が今回の神社建立のご縁の結び目には、智慧が存在することは自明の理です。子どもたちのためにも、智慧を譲り遺し、人類が末永く仕合せになるように私にできることを努めていきたいと思います。