本物の知性

起きた出来事をあらゆる角度から検証し、内省し、改善する。これはご縁を活かす生き方の一つです。実際に、もしも知識や言葉がなければ人間はどのように学んでいくのでしょうか。

それは先ほどのように、ご縁のみを振り返りそこから発生した出来事を思い出し心の感じたままに修正を続けていくのでしょう。まさに自然であり野生の感性だと感じます。

どちらかといえば、世の中は人工的なエコの世界で理屈を考えて物事を判断するようになっています。次第に飼いならされた動物園のようになり、ワイルドな感性は失われ野生動物が次第にいなくなっていきました。

山林では、いまだに野生のイノシシやシカやサル、クマなどもいますがほとんどが都会の中で現れることはありません。しかし本来、私たちは何処から来たのか、どのような暮らしをしてきたのか、それを思い返せば野生から来たのはわかります。

野生動物は動物園ではありませんから、それぞれが尊重しながら持ちつ持たれつに一緒に自然界で生存しています。動物園のように飼いならされて仕事をさせられていませんから生きるためだけに野生を放ち、イキイキとその野生を謳歌していきます。

実際には野生の生き物の方が、肌ツヤをはじめ眼光や放つ身体からの雰囲気など圧倒的に新鮮です。動物園の方は、残念ながら元気がなく野生が消えてダラシナイ姿になっています。その姿を動物は知性とは呼ばないとは思いますが、人間は知性と呼び、都市化されて飼いならされた世界に憧れるようになっています。

教育の力は絶大で、最初から野生を忘れると野生であることがよくないことのように感じるのかもしれません。しかし人間は必ず、自分の天真天命を求めていくときその根底にある野生に回帰する必要があるように感じます。

それはいのちの根源であり、仕合せの源泉でもあるからです。

日本人の先人たちは野生のままに国を実現していきました。それは家の暮らしの中にも観てとれ、野生の感性を存分に発揮して暮らしを充実させていました。まさに本当の豊かさを持っていました。それを今は、懐かしいと感じる人もいると思いますがこの懐かしさは野生の感性が呼び戻そうとするのではないかと思うのです。

野生の中には知性がないのではなく、野生の中に本物の知性があると考えること。それがこれからの自然との共生に根を下ろすときの重要なカギになると私は思います。

子どもたちが生まれながらの子どものままで暮らしの豊かさが味わえるように、日本の心、その和の持つ伝承を続けていきたいと思います。