自然から学ぶ

人は、書物や文字から物事を学ぶ前は何をもって学んでいたか。それは自然から学んだというのは明白な真実です。自然から学ぶというのは、野生であることを意味し、野生は自然と溶け込み合いながら真実を知り、それを実生活に活かしていくのです。

これを日本の風土を暮らしにまで昇華したものが私たちの親祖であり先祖たちです。その暮らしは日本の自然風土に適っており、随所に瑞々しく初心で純粋、好奇心に溢れた子どものような素直な感性を保持しています。

日本の学問の基本や原点はこの自然から派生したものであるのも事実です。

私は、自然農、古民家で伝統的な暮らし、人類の保育環境を整える仕事をし、かんながらの道を実践するものですがそのすべては自然と向き合って歩んでいく日々です。それは自然と中和するなかに本物の私があり、そして時があり、場があり、縁があります。

孔子も釈迦も聖人と呼ばれる方々はみんな共通して自然から学びました。時代が変わってもその本質は変わることはありません。常に自然を観照して自分を内省することの繰り返しによってはじめて道理に適う徳福一致の境地を得らるように思います。

江戸時代の儒学者の佐藤一斎があります。この人物は岩村藩家老の佐藤信由を父に江戸藩邸で生まれた方で朱子学や陽明学に通じていました。幕府の学問所「昌平黌」の儒官(大学学長)を務めてその門人には近代の日本に大きな影響を与えた佐久間象山や横井小楠、渡辺崋山らがおり、その象山の教えを吉田松陰や勝海舟、坂本龍馬が受けたといいます。

その佐藤一斎が書き記した「言志四禄」があります。そこにこの自然から学ぶことの意味が記されます。

「太上は天を師とし、其の次は人を師とし、其の次は経を師とす」

これは意訳ですが(人間の最上の学び方というものは本来、大自然の森羅万象を先生として天地すべてを学びとろうとすることが何よりも大切なのです。人間や書物から学ぶことも大事なことですが大自然を直接の師として教えを乞うのが、真理を体得できる最高の学び方なのです。)といいます。

あくまで人や本は二の次であり、まずは天地自然の道理、つまり自然から学ぶことだといいます。これは人間だけに限らず、すべての動物、植物、虫や菌類にいたるまでみんなこの大自然を先生にして学び続けて生きています。その真理を決して忘れず傲慢にならず、自然と共生するままに子どもたちに真実の学びを伝承していきたいと思います。