いのちの学び

私たちの存在は、古来の親祖から子孫まで長い時間をかけていのちのリレーをしてきて今があります。この今は、どれだけの人が繋いできたのか、それを考えることも少なくなってきているように思います。

自分のことばかりを考えては、自分の代のことしか観えませんが今、私たちが存在しているというのはその前の代、そしてずっと前の代から連綿とつなげてくださったから存在しています。

先祖を感じるということは、本来、今まで私たちが歩んできたプロセスを味わうことです。どのような変遷で今があるのか、そしてこの国がどんな歴史をたどってきたのか、それは教科書で文字だけを読むことで理解するのではなく自分の身体と共に感じる中でその実感を得ることが大切なことのように私は思います。

例えば、今の自分のいる場所から遡りはじめるとします。

自分の両親、そしてその両親の両親、さらにその両親と辿っていけば一代で2倍ずつ増えていきます。5代では約60人、10代では、約2000人、20代で約200万人、30代で20億人、40代遡れば約2兆人、この40代遡ったころが約800年代くらい、平城京があったころぐらいだともいいます。つまり今から1200年前になれば、2兆人の先祖が関わって今の私がいるということです。

その2兆人いる先祖が、一つでも関わらなければ今の私は存在してもいないという事実。この偉大さこそ、私は「徳」の姿の正体であるとも感じています。目には見えないけれど、偉大な恩恵の中に自分が存在している。そしてその偉大な恩恵を、次世代へと譲り渡していくということ。

これは単に自分の子どもをつくればいいという話ではありません。みんなで子どもを育ててきたから今の自分があるということにも気づく必要があるのです。先祖の皆様が愛情をかけてその世代を大切に守り次へとバトンを繋いできた。そのバトンを渡してきた数は、今の地球の人口では敵わないほどの人たちがこの地球と私たちを支えてきたという事実。そういうものを理解するところにこそ、いのちの本体や、今の私たちが本当になすべきことを実感する理由になると私は思います。

日本人も元を辿れば神話に出てくる伊弉諾と伊弉冉からはじまりここまで家族や親せきが増えていき今があります。もとは一組の夫婦からはじまりこれだけの歴史の変遷を経て今にいたります。

そして最近の遺伝子の研究で分かってきたのは、20万年前の1組の夫婦から世界の人類が誕生した可能性があるということです。20万年遡り、もしも今までのいのちのバトンの歴史を目に観えるようになれば私たち人類はみんな兄弟や親せきであることに気づくのです。

それが今では、争い、差別し、貧富の差がわかれ、権力や奴隷などもうまれ、最初の先祖が子孫たちの現状を見たらどう感じるだろうかとも思います。

学校の知識を教えることも大切で文字から学ぶことも、ITで情報を得ることもそれも大事なことでしょう。しかし人類として根源的なものや根幹的なものを無視して、それだけを知識で学んでも本当のいのちの学びにはつながっていないのではないかとも私は感じます。

私が、伝統や家を甦生することも、大和魂や大和心を伝承していくことも、これはすべてこのいのちのバトンの存在やその「徳」に報いたい、報いようと思うからです。

子どもたちがこの先、生きていく中で絶対に忘れてはならない学問があります。それが歴史であり縁であり、いのちなのです。引き続き、私の限られた人生の中で、この永遠のいのちの存在を徳積で可視化し、世の中に伝道していきたいと思います。