暮らしフルネスのお裾分け

昨日、聴福庵で新婚の記念撮影を行いました。白無垢姿の花嫁と紋付袴の新郎が、懐かしい結婚式の様子を思い出させてくれました。私自身は式場しか知らない世代ですが、むかしはみんな家で結婚式をしていました。

二間続きの部屋が和室に残っているのは、冠婚葬祭をふくめあらゆる記念式はこの場所で行われていたからです。家の中で行う安心感は特別で、いつもの暮らしの場がそのままハレに日に代わり、そのままその家で暮らしが豊かになっていくのを感じ、その場に思い出と仕合せが残っていくからです。

私たちはこの残っているものを福として、それを分けることでさらなる豊かさを積み重ねていくのです。まさにこれが仕合せの本質であり、福の本懐です。こういうのを福分けというのでしょう。

仕合せというのは独り占めするよりも、多くの人たちと分けた方が仕合せが増えていくのです。これは物資的な増減とは反比例し、心の幸せは分けることで増えていきます。

聴福庵では、昨日は親戚にいただいた米粉でピザ職人と一緒に炭竈門でのピザ焼実験をしている最中で昼にはみんなでそれを味わい美味しく食べました。これもお裾分けです。そして長年付き合いのある友人が奥さんとお子さんをはじめて連れてきてくれてお菓子をいただきそれもお裾分けしてみんなでいただきました。さらに、新婚の二人の愛し合う姿をみんなで見守り、一緒に笑い、記念日の幸をいただきました。また室礼のお花も、誕生日の息子たちのものをお借りして家を美しく彩り花の豊かさに満たされました。その夜には息子たちの誕生日のお祝いの食材も、分け合いみんなで美味しくいただきました。

こうやって時を分け、物を分け、愛を分け、福を分ける。

このお裾分けこそ、もっとも仕合せと豊かさの象徴なのです。日本人はむかしからお裾分けし合いながら、豊かさを増やしていきました。暮らしフルネスの中でも、このお裾分けはとても大切な実践の一つになっています。

私がお裾分けするのは、私がお金持ちだからではありません。それにただサービス精神が旺盛なだけではありません。シンプルに、豊かさの本質を磨いているのであり、それが福の正体であることを感得するからなのです。

子どもたちの心に、偉大な先人からの豊かさが文化と共に伝承されていくように福分けの実践を楽しんでいきたいと思います。

場の魂

昨日はBAで地元の学生たちを中心にしたブロックチェーンの研修会を開催しました。コロナでオンラインばかりをやっていますが、久しぶりにみんなで集まり場で学び合えることに仕合せを感じる一日になりました。

人の持っている、真心や思いやり、おもてなし、そして情熱や感謝、好奇心など一見、形がないものは存在しないように思われますがそれは確実に「場」に顕現するものです。私たちは場の持つ、居心地の善さのようなものは心で感得しているものです。

例えば、綺麗に整えられている場や、美しく磨き上げられた場にいくと自然に背筋が伸びて清浄な心持になってきます。その場には、空間の中に目には見えないけれど心では観える確かな風景が存在します。その風景を、何か五感のようなもので私たちは感じ取りそれを感受して養分にするのです。

現在は、お金をつかって見た目だけを綺麗にする建物や空間ばかりになっていきました。一見、美しく見えるような場であっても時間がたったら次第に空きがきてしまいます。それは張りぼてであり、心はその張りぼてであることを感受するからです。

私は空間や場を用いるのに、真心を盡します。

よくそこまでこだわってと感心されることが多いのですが、それはこだわりではなく真心だからです。真心だから妥協しないだけで、実際には完璧なものなどはつくれないから諦めているところも多いのですが真心だけは盡せないことはありません。

真心で取り組んでいく中で、本物の場は醸成していくのです。

私たちは、日本の風土の中で真心を感受して暮らしをしています。四季折々の美しい自然や風景は、私たちの心を癒し人生を豊かにしていきます。その環境の中にある真心はまさに私たちの人生へのお手本になるのです。

古い物は決して古いものではありません、古いものは自然の篩にかけられても遺った本物のふるいものです。ふるいものに囲まれて磨かれた美しい空間の中で、次世代の未来を磨き上げていく。

場にはその魂が宿っています。

これからはじまる学生たちとの交流がとても楽しみです。この舞台でどのような即興劇を繰り広げて演舞するのか、人生を謳歌していく彼らを見守っていきたいと思います。

感覚を拓く

何か一つのことを究めていくと同じことが他のことでも使えることがわかります。それは感覚のことです。感覚が研ぎ澄まされていけば、その感覚を使って他のことも理解していくことができます。

これは知識が増えてからできることではなく、感覚が研ぎ澄まされるというのは逆に削られていくということです。削られて洗練されていけばいくほどに、感覚の方が鋭敏になっていきます。その時、集中力や創造性、芸術面なども高まっていくように思います。

そう考えてみると、修練や鍛錬は感覚を磨き続けるために必要なのかもしれません。言葉もまた道具ですから同じです。常に日々に、課題を発見して磨き続けることであらゆる感覚を拓いていくことができます。

そして個々人がこの感覚を磨くということを大切にしていれば、自ずから直観的に一つの理想の世界に近づいていくように思うのです。感覚にはそれだけ神秘的なものが潜在的に存在しているように思います。

新しい技術の発明や、新しい芸術の創造もまた感覚が引き出していくものです。感覚があるから私たちは目に見えない世界を直観することができ、その直観したものを現実に創造していくこともできます。

偉大な音楽家の音楽や、数々のアーティストたちの作品の中にもその感覚が磨かれた一つの境地を感じることができます。ただ時間は有限ですから、一生をかけて何を実現するかはそれぞれに異なります。しかし感覚的なものは一つであるように感じるのです。

子どもたちの好奇心が世界を拓いていくように、感覚を磨き続けて子どもに学んでいきたいと思います。

真の循環への挑戦

麦わら屋根の修繕の打ち合わせで改めて藁葺の事を調べていますが、屋根の歴史を感じてかつての懐かしい情景に思いを馳せています。

戦後に藁葺は次第になくなり、トタンになったり瓦になっていきましたが本来は日本の平野部の家々ではほとんどが藁葺屋根だったとあります。うちの故郷にも、近くにまだ数軒の藁葺の古民家が残っていますが、実際にはトタン屋根になっているため中は見ることができません。

棚田と合わせて麦わらの古民家が重なる風景、そこに何か不思議な安ど感を感じます。これは長い年月の中で、暮らしの中でカヤや藁を使うのは少しも無駄がなく、使い古したものは肥料として田畑に戻し、先人たちは自然と一体になった理想的な循環型の社會を実現していたことも思い出します。

改めて深く感じるのは、日本の先祖が如何に自然と共生して暮らしを感謝と謙虚さをもって営んでいたかということです。

藁ぶき屋根がなくなってきたのは戦後に入ってからでそこから藁葺をする人たちがいなくなり、循環型の生活が崩れ始めたタイミングでトタンなどに入れ替わりました。まさに、西洋型の消費文明、また資本主義経済が流入してきてから私たちの家も暮らしも激変していったのでしょう。

また藁葺を維持するのには囲炉裏や竈などを使い、藁を燻していたからこそ腐食を起こさずに長持ちしていましたが今では電気に換わりそれもなくなりました。煙が出なければ腐朽が早まり家があっという間に傷みます。常に煙があったのは、竈で日々にご飯を炊いていたからです。茅葺は長持ちすれば30年くらいはもつといわれていますが、今の生活で煙も出なければ5年目くらいから腐食をはじめるようです。自然界はどんなものでも腐食が起きてきます、それを防ぐ仕組みが煙ですがその煙がなければどうにもなりません。道具たちや仕組みたちが調和していたからこそ、長持ちして寿命を延ばしあっていたのです。

この藁葺の屋根の寿命が短くなったのは、腐朽速度があがったことと採算が合わなくなったことです。また台風や大雨などには弱く屋根が飛ばされることが多かったからだともいいます。ここの藁葺も以前、大きな台風で藁が飛ばされ、そこからトタンに換えたと近所の方が憶えておられました。

そしてかつての故郷は、ススキやチガヤ、稲藁が大量に手に入ってそれを冬期に屋根裏部屋で乾燥させて定期的に集落で協力し合ってふき替えていたといいます。しかし、現在は稲藁も機械でそのまますきこんで田んぼに戻すため昔のように稲架けするところもなくなりました。協力し合って協働作業していた、沖縄の「結」のような共同体も過疎化と共に失われ、個人がお金で外の業者に支払ってやってもらうという仕組みになりました。すでに2019年時点で日本に現存する茅葺屋根の建物は10万棟程度にまでになっているといいます。

また日本でこの茅葺や藁葺ができる職人は200人をきっているといい、高齢化も相まってこのままでは失われてしまいます。私が今回、一緒に取り組むのは阿蘇の茅葺職人です。この方は、お地蔵さんの屋根の修繕の時にご縁があり年齢も同じで辰年、とても気が合いいつか一緒にとやろうと約束していたかたです。

このまま失われていくものをただ守るのではなく、本来、なぜこのような仕組みであったか、循環の本質、本物の循環を実現する仕組みを甦生させ、この世の子どもたちの未来のために偉大な布石の魂の一投を懸けてみたいと思います。

今回の藁葺の挑戦は、真の循環への挑戦です。

覚悟を決めて、故郷のため子どものために全身全霊を使っていきたいと思います。

美しい豊かな未来

いよいよ今度は、東京から飯塚に移住して「暮らしフルネス」を実践するための場として藁葺の古民家を甦生することになりました。この藁葺は、むかしの農家の古民家で周囲には棚田や大きな銀杏の木や杉の木が特徴的です。

実際に、家とのご縁もありますがそれよりも家を通して人とのご縁があることが有難く、今回も奇跡のような出会いに感謝することばかりです。

もともと私はこの家のある道の先に、自然農の畑を持っていますからここ10年くらいは通っていた道です。いつもこの古民家の前を通るたびに、空き家で傷んでいく様子、雑草や雑木が鬱蒼としていて異様な雰囲気を放つ様子に心を痛めていました。

自分の生まれ育った町の風景が美しいのは、心の平安が来て仕合せな気持ちになります。その逆に、故郷が失われていく様子や、風景が壊れていく姿には悲しい気持ちになっていました。

先祖たちが深く愛した故郷の美しい暮らしや風景を、そのままに子孫たちにつないでいきたいという想いは年々強くなるばかりです。そしてそれはただ守りたいという想いばかりでは守れません。

守りたいからこそ攻める必要があります。その攻めとは、この時代に相応しい暮らしを実現することであり、子孫たちにいつまでも受け継いでほしい文化を温故知新して今の時代に適応させていくことです。

時代が変わるからこそ、私たちは磨き続けなければなりません。それはいつまでも古くならないように常にもっとも大切な理念を維持しながら、もっとも新しいものを吸収して改革を続けていく必要があるのです。伝統と革新は、私たちの世代の責任であり、そうやって故郷を守り育てて繋いでいくことで美しく豊かな未来が拓けます。

もう賽は投げられていますから、あとはいつものように真心のままに取り組んでいくだけです。いいご縁を活かせるように、謙虚に素直に丁寧に丹誠を籠めて取り組んでいきたいと思います。

100年後のために

日本は明治に入り、西洋諸国に追い付こうとして様々な文化を捨てていきました。確かにその頃は、ペリーの来航で急を要したこともあったかもしれません。危機を乗り越えるためにと取り組んだことで、鎖国をやめ西洋諸国に追い付き軍備を増強して日露戦争にも勝ちました。しかし、戦争に負けアメリカの統治下におかれました。

歴史は常に表裏一体、善いことと悪いことはものの観方で変わります。

ある方向から観ればよかったことでも、別の方向から観ると同時によくないことが発生するのです。これは人生でも同じです。如何にバランスを保っていくか、そこには現実と理想、そして部分と全体の調和が必要になります。

日本人は古来から、この調和を磨き続けてきた民族であり「和」を尊重して重んじてきた生き方をしてきました。バランスを保つからこそ、文化を高め、持続可能な社會を実現するために自然と共生し、暮らしを充実させていきました。

現在は、どうでしょうか。

先ほどの明治のころの話であれば様々な文化を捨ててきたことで大事なものが失われていきました。日本人が千何百年もかけて磨き高めてきた思想や生き方もこの百年やそこらで手放して忘れていきました。これをそのままにしていていいのでしょうか。次の代、子孫たちがこの百年で失ったものはどうなるのでしょうか。

単なる個人の経済活動や利益ばかりを優先して日々に追われるような生活を続けておいて、文化も幼いころから他国の文化を自国の文化のように生きて果たして私たちは歴史を省みてバランスが取れていると言えるでしょうか。

先祖や先人がやったことは、子孫がバランスを整えていく必要があります。それは歴史には善い部分と悪い部分が同時に発生するからです。善い部分をしっかりと伸ばし、悪くなったところはカバーしたりフォローする。その中にこそ、私たちが今を生きる真の役目があるように思うのです。

失われていくことの中にこそ、本当に大切だったものがあることに気づくこと。この100年を学び、どう次の100年に結んでいくか、それは今の私たちが託されたものです。

子どもたちの100年後の未来のために、真摯に取りくんでいきたいと思います。

饅頭の豊かさ

先日、ふとしたことから饅頭のことを深めていると日本人は饅頭といえば豊かさの一つの象徴であったことを感じます。芽出度いときや、大事な祭祀にも饅頭が供えられました。

饅頭がなぜ日本人に愛されるのか、その一端を考えてみたいと思います。

饅頭といえば、まずは紅白饅頭というものがあります。この紅白饅頭の起源は平安時代の源平合戦とも言われます。源平合戦とは、武家の棟梁の源氏と平家との間で行われた戦いで、1177年~1185年にかけて日本全国で起こった戦争のことです。その際、源氏と平氏がそれぞれ赤と白の旗印に分かれて戦ったことから、相対する二つの組による戦いに紅白が用いられるようになったといいます。

運動会や紅白歌合戦なども、紅白になります。なぜ戦争なのに紅白?と思われるかもしれませんが、もともと赤は赤ちゃんというように「おめでたいこと」を意味して、一方の白は、死装束として死や別れを意味しています。そこから「紅白」は人生そのものであるといわれています。

花嫁衣裳の白無垢というのも、室町時代から着られており江戸に赤ふきの白無垢がでました。これは白無垢の裏地を赤くしたものです。ここから結婚前の自分と決別し、新しい自分として甦生して新たに生まれ変わるという意味があります。

紅白には甦生や生まれ変わりの意味があるのです。

紅白饅頭は、大変な縁起物としておめでたいときに配られるのです。そしてなぜ饅頭かといえば、饅頭の材料は小豆です。最近の子どもたちは、小さいころから科学的な甘味料で舌がかわり味覚も変化してしまいましたが私たちはお米や小豆の甘さを伝統的に感じられる舌をもっています。

小豆はもととも邪気を払う力があると考えられ、小豆の詰まった饅頭自体に厄除けのための縁起物という意味もありました。なのぜ、厄除けにあわせて紅白の意味も重なり、おめでたいとなっています。

饅頭が出てくると、なぜか仕合せな気持ちになります。

長い時間をかけて、大事なおめでたい場面で饅頭をみんなで食べながら笑っている豊かさをそこには感じます。お腹を満たすだけでなく、心も豊かに満たす饅頭のチカラを見直して子どもたちに伝承していきたいと思います。

 

饅頭の初心

友人の北海道のべてるの家の河村先生が、福島の薄皮饅頭を配っているとお聞きしユニークな取り組みに乗っかろうと私も今週末のイベントで冷凍をむかしの蒸し器で炭で蒸し、みんなと一緒に食べることにしています。

この福島の薄皮饅頭の柏屋は日本三大饅頭の一つです。他の二つは。大手饅頭伊部屋「大手まんぢゅう」(岡山)そして塩瀬総本家「志ほせ饅頭」(東京)です。今回は、この福島の柏屋の薄皮饅頭にしました。

この薄皮饅頭の柏屋は、嘉永五年(1852年)に創業し「病に薬がいるように、健やかな者に心のなごみがいる」との初心を定め奥州街道郡山宿の薄皮茶屋で餡がたっぷりで皮の薄い饅頭を考案したのがはじまりだそうです。

公式サイトに歴史のことが書かれていますが、興味深く少しご紹介してみたいと思います。

『創業まもない頃、旅姿の一人の男が柏屋を訪ねてきた。旅人は上州(今の群馬県)のお菓子屋で、ある日、富山の薬売りが来て饅頭を食べたところ、 郡山の薄皮饅頭とは比べ物にならない・・・と言われたとか。そこで、薄皮饅頭の作り方を丁寧に教えて差し上げたが、1年ほどしてまたやって来た。

「まだ、うまくできません。」
「上州の。お前さんは餡を何で包むんですか?」
「教えの通り、あのようにして作った皮で包んでいるのですが・・・」
「ああ、それだからおいしい饅頭ができないんだ。まごころで包まないとお客様に喜んでいただけない。」

上州のお菓子屋は、この一言に大変感動し、何度もうなづきながら帰って行った。』(公式HPから抜粋)

最初から、何を包むのか、まんじゅうを何のためにつくるのかという理念がはっきりをしているのを感じます。上州のお菓子屋さんも技術は優れていたからこそ違いがはっきりと理解できたのかもしれません。まごころで包むということの意味を学び直した話はこの柏屋さんの原点であり初心を確認することができます。

そして3代目の話も感動します。

『戦後、日本が復興をはじめた頃の話。まわりのお菓子屋が手に入る原料や人口甘味料でお菓子作りを再開する中、柏屋は歯をくいしばり3年もの間お菓子作りを再開しなかった。
これは、「のれんに恥じるような薄皮饅頭なら作らないほうがまし」との信念からであった。 三代目の妻・香は、 「今はおなかではなく、心をいっぱいにしようね・・・」とわが子たちに言って聞かせ、良い材料が手に入るまでじっと耐え忍んだ。』

先祖に恥ずかしくないように、子孫に顔向けできないことはしないと暖簾を守った信念とそれを支える奥さんの「心をいっぱいに」というまごころに伝承の重みを感じます。

今年のNHKの朝ドラの「エール」でこの柏屋の薄皮饅頭使われまた人気が出たようです。現在の当主のインタビュー記事に、「私は常々、お菓子の役割は人と人をつなぐこと、コミュニケーションを生み出すものだと思って仕事をさせていただいています。今回のエールでは、私どもの薄皮饅頭を、まさにそういう役割で、しかもこんな大事な場面で使っていただいて感動しています。本当にうれしいです」とありました。

時代が変わっても、大事な初心はわかる人たちの間で受け継がれてそれが使われていく。私もその初心を観て、むかしからの伝統のものや伝承の大切な思いを子孫たちへ伝えていくお手伝いをしていきたいと思います。

神秘の世界

法螺貝を学び始めてから、螺旋構造のことを深める機会がありました。螺旋とは巻貝のようにぐるぐると渦巻状に巻いているもののことをいいます。

この螺旋のカタチというのは、ミクロでは遺伝子や分子、そしてマクロでは宇宙の姿と同じです。螺旋構造というものは、この世のもっとも原始的な運動の姿であり、この世のエネルギーの構造そのものであることを直感します。

宇宙でいえば、私たちの太陽系は猛スピードで螺旋を描きながら太陽と一緒に銀河系から遠ざかっています。同じところをただ廻っているのではなく、遠ざかりながら廻っていますから螺旋的に前進を続けます。そして銀河系もまた螺旋状の姿のままだ善い宇宙を猛スピードで廻りながら遠ざかります。この遠ざかるという表現が果たして合うのかわかりませんが、何処かに向かって移動をし続けているのです。

私たちは、一直線のところを真っすぐに進んでいるのではありません。目には観えませんが、地球が自転して宇宙が回転するように私たちのいのちもまた螺旋的に活動を続けているのです。

例えば、台風や竜巻、水や火などもよく観察するとすべて螺旋になっていきます。それは私たちの太陽系をはじめ地球が螺旋状に前進しているからです。もともとが螺旋になっているのだから、私たちのいのちのすべては螺旋に従って螺旋になっていくということです。

縄文土器には必ず渦巻紋様があります、あれは宇宙のチカラを取り入れるための器であり縄文時代の人々はいのちの姿を螺旋であると直観していたのかもしれません。自然を観察すればするほどに、すべての生命が螺旋構造であることがわかります。

私たちはこの螺旋の仕組みで生命を象っているとも言えます。

法螺貝を吹くとき、何か螺旋のエネルギーとつながっていく感覚を覚えます。ひょっとしたら、私たちは音を通して螺旋の何かに触れて、その力と調和をはかったのかもしれません。

神秘の世界を味わい、子どもたちに神秘の存在を伝承していきたいと思います。

前進を楽しむ

一つの道が卒業し、新たな道が拓くというのは芽出度いことです。芽出度いというのは、なかなかあることではありません。言い換えれば奇跡であるということです。人は生きていたら毎日いろいろな奇跡にめぐり会います。

その奇跡を奇跡と感じる感性がある人は、毎日が挑戦であり日々が大切な道の一歩です。何かを捨てることは、何かを選ぶことでもあります。未来志向というのは、過去にとらわれず、自分の心の声を信じることかもしれません。

「どんな仕事でも喜んで 引き受けてください。 やりたくない仕事も、 意に沿わない仕事も、 あなたを磨き強くする力を 秘めているからです。」稲盛和夫

「山は西からも東から でも登れる。 自分が方向を変えれば、 新しい道はいくらでも 開ける。」松下幸之助

選ばない生き方というのは、引き受けるという生き方です。それは役割をいただいたのなら、与えられた以上で精いっぱい恩返ししていくということに似ています。仕事も同じく、いわれたことをやってもそれはその人のできる範囲で小さくまとまります。

しかし言われたことよりももっと大きく、もっと真摯にお返しすればそれはますます発展して学びも磨かれていきます。大切なのは、どんなことも道であるとし自分自身の人生を創造していくことだと思います。それは他人軸で評価される自分のことではなく、まったく新しい自分に出会い続けていくことに似ています。

今環境がないからや、ここまでの環境でなど満足するのではなく、もっともっとと自分から役割を取りに行く。それは志を立てているのだから、自分の視野で判断するのではなく、偉大なお仕事をいただいていると感謝し挑戦することだとも思います。

ご縁やチャンスは、そして一期一会は心の在り方や捉え方が大きな影響を与えています。一つ一つの物事をどのように受け止めているか、そこに自分との正対があります。自分と向き合うことは、道を歩んでいくことです。

引き続き、前進を楽しんでいきたいと思います。