いのちの甦生

いのちというものを思う時、それはいのちを伝える存在によってはじめて成り立つことがわかります。つまり、いのちは何かというものを理解する方法として、それはいのちを受け取る側に対していのちを伝える側があることに気づくのです。

当たり前のことかもしれませんが、この当たり前に気づいている人がどれだけいるのかということを改めてみなければなりません。

例えば、子どもは両親がいのちを伝えます。その両親にも両親があり、遡れば最初の両親にまでたどり着きます。つまり今のいのちを私たちが感じるとき、そのいのちを伝え続けた存在があったことに気づくのです。

これを伝統とも言います。

そしてこれは人間だけに限りません、動植物、虫や菌、ウイルスにいたるまでみんな記憶を伝承していきいのちを引き継いでいるからこの世に存在します。そしてもっと言えば、この地球も、そして宇宙もまたいのちを伝える存在によっていのちは存在します。

私たちは伝え続けることによって存在する意味を知る。

としたら、私が取り組んでいる伝承は果たしてどのような仕事になるのでしょうか。経済社会では儲けにならない価値のないことのように思われますが、いのちの世界ではもっとも尊いことになると私は信じているのです。

伝統や伝承に携われるということは、徳を積めます。そして魂を磨けます、いのちの気枯れを祓い、元氣を取り戻すチカラを与えます。日本が元氣になります、そして世界もまたいのちがいっぱいに満ち溢れ元氣になります。

私はむかしの田んぼをやっていますが、田んぼもまた伝承の風土の権化です。だからむかしのままに続けるのです。もちろん、現代の科学の発展もまた当然ですからそれは活用しますがいのちの伝承とは別の次元での話です。

子どもの仕事をするということを深め究めた時、結局はこのいのちの伝承をすることや風土を醸成することにたどり着きます。私のいのちの使命は甦生ですが、この甦生は元氣を甦生するといってもいいことです。

いのちが甦ることで、人もいのちも別の物に転換されます。

子どもが安心して天寿を全うできるように私たち大人から変わっていきたいと祈ります。