和の心

今回、藁ぶきの古民家の甦生をしていますが家から学ぶことが多くあり新鮮な気持ちで取り組んでいます。今まで、ただの雑草と思えていたものでも家で活用していく現場を観るとそれが大切な資源であることがわかります。

例えば、藁ぶきの藁や、萱などもススキやヨシのように草刈の対象でみると厄介な存在ですが資源でみるととても価値があるものに換わります。

本来、私たちは無駄な資源などというものはなくすべて自然からいただくものは大切な資源でした。その資源を無駄にしないように、なるべく旺盛に生えてくるものから活用し、時間をかけて少量しかないものは特に丁寧に手入れをして使いました。

竹や杉、この萱などは毎年旺盛な繁茂力がありますから手入れをしないとその場所が荒れ果てていきます。なので小まめに収穫し手入れをしてその資源から暮らしの道具を編み出していきました。竹細工、わら細工、木工品はすべてこの資源の活用方法から生まれた智慧の産物です。

そして何十年もかけて育てた森の木は、大黒柱にしたり梁や棟などに使い何百年も持たせる家の素材などにしました。資源を如何にきちんと使い切るか、そして資源を育て続けるかに注力してきたからこそ暮らしが守られたのです。

現代は、価値がある資源は競争して取り合って掘り出していきます。石油などもなくなるとわかっていても、誰もその競争を止めようとはせずに使える分だけ使い切っていきます。そうしているうちに、資源がなくなればどうなるのか。予測はついていても、経済を優先して誰も何も変えようとはしません。

資源が枯渇するとわかっていても、広い地球を移動すればその資源はいくらでもあるだろう、なければ宇宙に出ればいいと思っているかのようです。しかし、日本は古来から島国で資源が少なくもしそこで大量に摂取すれば島ごと生態系が失われる経験をしてきました。

だからこそ、水を溜めるために田んぼをつくり、生態系が豊富になるようにお米をつくり、山と川と海のバランスが整うように人間が「暮らし」を調和させて自然の営みの支援をしていったのです。

こういう視座があったからこそ、瑞々しい風土が醸成され、豊かな感性と「和」の心が育ってきたと私は思います。

和の心は、いのちを大切にしていきます。それは限られた存在、愛おしい存在に対して自分自身から自然に近づいていき自然とともに末永くこの風土に存在していきたいという思いやりから発心しているように思います。

何千年も続けてきた先人の生き方に倣い、この今こそ学び直して子どもたちに伝承していきたいと思います。