調和力

今、住んでいる自宅は大きな池の水辺の高台にあるため朝からあらゆる野鳥の鳴き声で目が覚めます。水鳥たちが家の周囲にまで飛来してきては、朝からとても澄んだ鳴き声を奏でてくれます。

まるで風のゆらぎを指揮にしたオーケストラのように自然の音楽が聴こえてきます。水辺には、お互いの位置を確かめ合っているかのようにそれぞれで音を出しては距離とつながりを確かめ合っています。

自然というのは、お互いの距離感というものをそれぞれがもって共生しています。お互いに配慮しあい尊重しながらもともに居心地の善い場をつくりあげていくのです。

つまり居心地の善さとは自然界では、尊重し合うということにほかなりません。みんなが周囲を思いやりながらもここまでという境界線を大事にしているということです。

人間の歴史は、戦争の歴史といわれます。

そこにはお互いを尊重するような境界線がありません。自分たちが豊かになるために定めた範囲に対して、敵か味方があるだけです。人間は、そもそもいつから戦争をはじめるようになったのか。縄文時代のように、食べることで精いっぱいで自然と一体になって暮らしていた時代は戦争はあまりなかったように思います。

それが農耕をはじめ物質的に豊かになり、余裕がうまれさらにその富を増やすために生活圏を拡大させ人間でこの地球を埋め尽くしていきました。今では世界には80億人以上の人類がいて、人間の生活圏はあらゆる自然を埋め尽くすほどです。

戦争というものは、この生活圏の奪い合いともいえます。それが発展して、現在は経済が生活を占めていますから経済圏の奪い合いが戦争ともいえます。中国やアメリカ、ヨーロッパをはじめあらゆる国々が経済圏を確保するためにしのぎを削ります。

世界はいつになったら居心地の善い関係が築けるのか。

果たして本当に進歩しているのか、進化しているのか、自然を観照していると考えさせられることばかりです。せっかく進歩しても、進化しなければ進歩は活かせません。また進化は本質的な進歩を遂げるはずです。その調和が人類の真の成長であり、私たちが目指している持続可能で平和な世の中ということでしょう。

歴史から学び、自然から学び、私たちは本当のこれからを築く必要があります。暮らしの中には、その居心地の善い暮らしというものがあるように私は思います。それはこの自然のもっている調和力の中にこそあります。

子どもたちに、自然の智慧を伝承していきたいと思います。