日々の精進

若い頃に安岡正篤さんの著書で「六中観」というものを知りました。これは安岡正篤さんの座右の銘だったそうです。「私は平生ひそかにこの観をなして、いかなる場合も決して絶望したり、 仕事に負けたり、屈託したり、精神的空虚に陥らないように心がけている。」というほど意識されていたことがわかります。

常に中庸を保つというのは、丹田の錬磨によるものと思いますが歳を重ねるにつれてこの六中観の感じ方が変化してきます。

この六中観は、「忙中閑あり 苦中楽あり 死中活あり 壷中天あり 意中人あり 腹中書あり」の六つです。人生の中で、どんな「中」にいても六つに転じて福にしていく工夫。まさに人生の達人ともいえる境地です。

最近は、英彦山に関わることでまさかの壷中天ありまで体験させていただいています。仙人の境地に入れるかどうかわかりませんが、この六中観によって中庸や中心を磨いていけることに仕合せを感じています。

もう一つ、私は六然訓というものも同じくらい意識してきました。「自處超然  じしょちょうぜん 處人藹然  しょじんあいぜん 有事斬然  ゆうじざんぜん 無事澄然  ぶじちょうぜん 得意澹然  とくいたんぜん 失意泰然  しついたいぜん」の六つです。

これを合わせて私流に「かんながらの道」、つまり自然道と名付けて実践を続けています。どんな時でも、自然に委ねて天に任せるという生き方。まさに神人合一の境地です。

人生の中で、生き方の羅針盤があるというのはとてもすばらしいことです。時に絶望するとき、時に悲嘆にくれるとき、偉大な勇気になります。また時に歓喜するとき、有頂天になるとき、偉大な謙虚さを与えてくれます。

感情があることで様々な貴重な体験ができますが、分を弁えることで信仰や信心が磨かれます。人はこの感情と心のバランスを保ちながら、唯一無二の人生経験をこの宇宙で得られ記憶を育てます。

今に生きることは、この六中観や六然訓を大切に生きていくことです。

子どもたちにも健やかないのちの伝承ができるように日々の精進していきたいと思います。