体験が学び

先日、奥庭の剪定でイラガやチャドクガに刺されました。イラガははじめて刺されましたが、急な激痛で熱を持ち、その後は小さな赤いぶつぶつができます。背中の棘の先から大量の毒を放出するようでその毒によりこちらが撃退されてしまうという仕組みです。チャドクガにおいては、毛を放出しその毛についた毒によって敵を撃退します。

今回はその両方の毛虫によって色々と痛く痒い思いをしていますが、こうやって体験することでその虫のこと、対策のこと、あらゆることを身体で学びます。体験の学びは、大変であればあるほど心身に沁みますからそのことから人は学ぶということがはじまるのでしょう。

今の教育は教えるばかりであまり体験を重視していませんが、本来は子どもは体験するから学ぶのです。体験なしに学んでいてもそれは学んだとは言わず、できる限り様々な体験を通してその体験が何だったのかということをフィードバックし内省することにより本来の学ぶ価値に出会えるように思います。自然というのは、そういう意味では私たちにとっての至高の先生です。

さて、このイラガとチャドクガですが特に殺虫剤を使わず枝や葉ごと取り除きましたがこの毒蛾の幼虫にも天敵はいます。例えば、カマキリや蜂、寄生虫、ウイルス、また一部の鳥が食べてしまいます。自然界はとても絶妙に調和していて、殺虫剤を使って全滅させるとかえってバランスを壊し一部の虫たちが大量発生したりします。

その都度、殺虫剤を使っていたら常にそこに全滅の状態を維持しなければならなくなり一度使ってしまうとずっと殺虫剤を使い続けなければならなくなったりします。自然の調和が来るのを待たずに結局は全滅させるとその後がもっと大変になるのです。自然農を学んでいるため、大変で面倒で危険でも手作業で手入れをしていきますが虫のことをもっと観察し学ばなければ今後も同じように刺される嫌な体験をしなければなりません。

どんなことでも体験をしてすぐ学ぶことが何よりも大切であり、その学びを次に活かすことで学びはさらに深まり学ぶ真価が出て来ます。自然の奥庭をつくっていますが、その自然の奥庭づくりが不自然では成り立ちません。いくつになっても「やってみたい」と思う子どもの好奇心があれば失敗を恐れる気持ちはなくなっていくものです。

引き続き、どんな失敗からも積極的に学び直し自分の方を変化させていく楽しみを挑戦と共に味わっていきたいと思います。

  1. コメント

    やめる理由はいくらでもあり、それでもやると決めている。そこはただただすごいと思うところでもあり、学ばせて頂くべきところだと感じます。教わるばかりであれば身をもって体験する機会すらありません。自然農の経験、虫を敵にしないというのもここで活きてくるというのも、自然から学ぶ尊さを一段と感じます。追体験を通して体験させて頂けていることに感謝し、そこから自分自身もまた学んでいきたいと思います。

  2. コメント

    昔の子どもたちは、帰宅後は暗くなるまで外で自由に遊んでいました。そこでは、虫に刺され、何かに噛まれ、ケガをして、しょっちゅう痛い目にあっていました。親の言うことを聞かずに、よく痛い目にあいましたが、そういう経験の一つひとつが学びでした。「安全」ということは大事なことではありますが、そういう経験がないということ自体が危惧されます。

  3. コメント

    これがただの「奥庭の剪定」と思っては大間違いだということを当主の姿勢から改めて気づかされました。行いではなくその裏に何があるか、条件・状況・感情はただの言い訳にしかならず、やらない理由にはならない。自分で決めたことではないか、と自分の本心を守ろうとするその生き方はまさに「一日の王」人生の主人公であることを感じます。万事が繋がっているからこそ、生き方の方から自分自身を律し正していきたいと思います。

  4. コメント

    蚊も、ジャングルに住む人々は刺されても腫れず共生しています。人間には適応する力があり、敵対することを止めると決めることから自分が変わっていくのかもしれません。好き嫌いも環境次第で変わっていく事を思うと、自分の中での価値観も柔軟でいられるように、どう生きるかを決めて振り返るプロセスを大切にして行きたいと思います。

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