自然は真の営みの道

今回、1週間をかけてクルーたちと一緒に古民家再生をしながら暮らしを共にしましたが発見ばかりの日々で改めて古来の生き方を学び直すことができたように思います。

朝、炭火に火をいれて朝食をつくり布団干しや掃除、その他の家の手入れをしていたらすぐに昼前になり昼食を用意します。午後もまた、庭の草刈りや拭き掃除、夕飯の支度をしていたらすぐに夜になります。夕食後、炭でお風呂を沸かしお茶を入れて後片付けをしていたらもう寝る時間になります。

スイッチ一つの快適な生活には、時間が豊富にあり娯楽がありますがここでの古民家暮らしはまったく娯楽をする時間などが存在できません。暮らしの手入れをする合間に、休憩をして少し寛ぐことがあったとしても何もすることがないということがありません。

先日、家の前を通りがかったお婆さんが家の道具を見て「懐かしい」とクルーに声をかけてくださったそうです。その際、「昔の女性はやることがたくさんあって毎日が充実していた」と仰っていました。お婆さんの家にガスのキッチンが入ったのは昭和41年ころだたそうです。それからずいぶん便利になって炭を使うこともなくなったそうです。

確かに私たちは文明を進歩させ、いろいろなことが便利に楽になりましたが文明の進歩は人間の欲望の進歩でもありました。これは文化の進化とは異なるものです。文化の進化は悠久の時間をかけてじっくりと混然一体に周りと調和しながら自分自身を変体していきます。しかし文明の進歩は自分の方は変わらずに、周りを道具を使って操作して変化させていきます。

お婆さんが懐かしそうに昔の大変だったけれど充実した暮らしがあったという話を聴きながら人間の豊かさとは一体何かと今一度、考えさせられる思いです。自然から離れ人間にとって快適で怠惰な生活ができるようになり、死生観も失われ毎日は豊かになったと思い込んでいますが地球全体の循環や、先祖たちとの一体感も薄れある部分は急激に貧しくなったように思います。もったいなさというものが消えれば消えるほどに私たちは自然から遠ざかっていきます。

この1週間のここでの暮らしは確かに自然と生きるための営みに満ちていました、

自然と共に暮らすというのは、文化の進化と共に歩む道です。自然は真の営みの道なのです。

引き続き、文化発展の可能性を見直しながら温故知新し、今の時代に必要な本当の豊かさを学び直し子どもたちに先祖の生き方と生きざまをそのままに伝承していきたいと思います。

  1. コメント

    松下幸之助さんは、女性を過酷な家事労働から解放するという理念で家電製品の開発を続けられましたが、その結果はどうだったのでしょう。確かに、早朝労働や寒さのなかでの過酷な労働は回避されたでしょうし、忙しさからも解放されたでしょう。しかし、忙しさのなかにあった「充実感」はどうなったのでしょうか?!みんなが、「あっという間に一日が過ぎる」と言っていましたが、「充実した一日」の過ごし方というものを改めて考えてみたいと思います。

  2. コメント

    笑いの絶えない1週間、そして発見する毎日は振り返るとあっという間でした。新潟・島根の古民家に宿泊した時とはまた違う感覚があり、暮らす中で見えてくるものがありました。東京に戻ると生活が一変し立ち並ぶオフィスから放たれる光がおもちゃの宝石のように見え、これまでの生活に戻りつつある中で暮らすとは何かを今一度考え、今回の学びを形にしていきたいと思います。

  3. コメント

    聴福庵での暮らしは、どれもこれもが協力して行うようなことばかりだったように思えます。掃除も飯の支度も炭入れもアクティビティのようで、自然とチームワークが高まるような感覚がありました。不便だからこそ皆のチカラが必要で、だからこそやり終えた後の飯も旨いし風呂も気持ちよかった。シンプルだけれども大切なこと、今は何を一体忙しくしているのかと、この都会の生活が不思議に思えてしまいます。

  4. コメント

    自然に寄り添う暮らしにの中にあるタイミング、息遣いを感じられたことはとても大きな体験でした。自分のタイミングで生きていては、暮らしていては、見えてこないものでした。今、都会に戻り、自分の暮らしを見つめると、沢山の恩恵の上に成り立っている事ばかりです。感謝の実践を忘れず、自然と離れていかない暮らしを大切にしていきたいと思います。

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