祇園祭と暮らし

この時期は全国各地で祇園祭が行われています。郷里の神社でも祇園祭がありますから、その準備として須佐神社のお社や境内を清掃してきました。この須佐神社の祭神は素戔嗚尊です。

そもそもこの祇園祭「祇園」とは古代インドの初期仏教の5つの精舎(寺院)の1つ「祇園精舎」が由来です。このインドの祇園精舎の守護神が牛頭天王で、日本では神仏習合により牛頭天王=素戔嗚尊となったといいます。

私の会社の近くにも、津島神社がありそこには素戔嗚尊が天王さんと呼ばれお祀りされています。

祇園祭りの縁起物としては粽(ちまき)があります。これは素戔嗚尊が旅の途中、貧しい蘇民将来の家で一晩温かなもてなしを受けたお礼に、その子孫を疫病から守る約束をし、目印として茅の輪を腰に着けさせたといいます。この「茅巻(ちまき)」が粽の由来といいます。玄関や門口に粽を飾り厄払いをするのもここからきています。

また他には、獅子舞があります。この獅子舞は、16世紀の初め、室町時代に伊勢の国で飢饉や疫病を追い払うため、お正月に獅子舞を舞ったのが始まりといわれています。そこからこの梅雨明けに五穀豊穣と飢饉や疫病退散、悪魔祓いとして獅子舞が氏子の家々をまわります。

この獅子舞が頭をかむのは、「獅子舞が噛み付くと神が付く」という縁起かつぎもあるそうですがその人についた邪気を獅子が食べてくれるということもあります。私も小さい頃に何度か噛み付かれたことがありますが、大きな獅子に頭を噛まれるドキドキ感は今でも思い出に残っています。

今では飽食の時代で、医療も発達し飢饉や疫病とはあまり縁がなくなりました。昔は、この梅雨の長雨で水害が起きたり、太陽を浴びれないことから病気になったり、精神的に辛くなったりしたこともあったかもしれません。

しかしそれをお祭りによってお祓いし、それぞれが楽しく豊かにこの時期をみんなで一緒に乗り越えていこうとする和の心があったのかもしれません。

京都では何度も戦乱に巻き込まれ一時祇園祭を中断することもあったそうです。しかしそれでも町衆たちが、苦しい中でもみんなで祇園祭を守り続けて山鉾も復活し、今では全国でも有数な大きな祭りとしてたくさんの人たちを京都に集めて一緒に豊かに祈念しています。

暮らしの甦生をしていますが、夏越しの祭りなどこの時季ならではの風物詩があります。そこに神様が深くかかわっておられ、改めて日本人の先祖たちがどのようにこの季節を過ごしてきたのかが垣間見れます。

引き続き、暮らしの甦生を楽しみながら子どもたちのためにも日本文化の甦生、日本的精神の復古創新に取り組んでいきたいと思います。

  1. コメント

    私の地域では、獅子舞は毎年春祭りの頃に家々を回ってこられます。その場に居合わす人全員が、頭を噛んでもらいます。今年はタイミングが合い、私も久しぶりに噛んでもらいました。こういうことを、単なる風習や迷信と考えるか、それとも「信仰と共にある暮らしの智慧」と理解するか?!が大事なところです。実際は、「科学万能」の方が迷信なのかもしれません。

  2. コメント

    祭りと一言で言っても、様々なお祭りがありその一つひとつに意味があることを思うと、その願いを感じるのは大切なことだと感じます。昨年から祭り部が発足し、掃除をはじめ、その意義を暮らしから見直しています。この一つひとつの意味を深め、祭りとは何かを考えていきたいと思います。

  3. コメント

    祭に行ってもその祭の由来を調べたりする事はありませんでした。本来は祭には暮らしに根ざし、日本人にゆかり深い理由があるのだからこそ、それを学び、深めないのは勿体ないのだと思いました。頂いた機会を選ばない生き方だけでなく、頂いた機会を深めて行く生き方も大切にしていきたいと思います。

  4. コメント

    子どもの頃は出店で食べ物を買ったり太鼓の音や踊りなど、楽しい思い出がたくさんある祭りの記憶ですが、それが本来の神事信仰との繋がりが少しでも感じられるものであったなら尚更いいことなのだと思います。以前のアイヌ伝承の話を思い出しますが、理屈よりの子どもたちが楽しいと思う中で自然と受け継がれていくような関わりを自分自身が大切にしていきたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です