活かし合う社會

もともと人はそれぞれに価値観が異なります。生まれ育った環境から、あるいは遺伝子の繋がりから、あるいはもって生まれた天性もあり性格なども異なります。その価値観の異なりは文化として出てきては、それぞれの個性、持ち味としてそれが社會の中でお互いに有効に活かしあいます。

これは自然界でも同じで、一つの植物は他を活かし、また一つの虫もまた他を活かし、お互いに異なりながらも活かしあう存在して自然は社會を創造しています。そこには一つの価値観だけで他を排斥するようなものはなく、お互いに必要な存在であると認め合っていることが大前提にあります。

その大前提が人間中心主義で崩れれば、人間以外のものは尊重しないという価値観があたり前になってしまいます。そうすると、何が自然で何が不自然かが分からなくなります。

現在、人類が大きな分岐点に来ているといわれるのはこの自然からの乖離が顕著になってきたことが原因だと私は思います。西洋から入ってきた人間中心主義が蔓延し、自然に活かされているということを忘れ、お互いを尊重し合うことをやめたことが加速度的に人類の危機を高めてしまっているように思います。

国家間においても、共異体であることを認めようともせずグローバリゼーションの名のもとにお金を用いて一つの価値観に塗り替えてしまおうとしていますが、それをすればするほどに多様性は失われより自然は破壊されていきます。

本来、それぞれの持ち味や価値観の違いはお互いを活かしあう上で大変重要な自然の摂理ですからもっと異なることを大切に他を思いやり排除するのではなく共に異なるままで活かしあおうとした方が自分が生き活かされる美しい社會が創造されます。

人類の未来のためにも、子どもたちの未来のためにもまずは自分の中にある刷り込みを取り払い、周囲の環境を改善し、実践によって気づき合えるよう学びを深めていきたいと思います。

  1. コメント

    自分に今できることをする。当たり前なことですが、その当たり前なことがちゃんと出来ているだろうかと、自分に戻ってきます。共に社会を築いていこうと思ったら、批判よりも一緒につくっていく大切さを感じます。建設的に前向きに実践を積んでいきたいと思います。

  2. コメント

    「成長期」には価値観を一つにして進め、「成熟期」には価値観が多様化する、と言われます。これまで「成長」を第一とし、少しでも早い「成長」を善しとしたため、共通の価値観を強制的に持たされてきました。今後も、まだ人間中心の価値観のみで成長を続けようとするのかどうか?!そこを問い直す必要があるのではないでしょうか。

  3. コメント

    ようやく熱が下がり、意識がはっきりしてきました。いろいろと皆さまにはご心配とご迷惑をおかけしてすみません。熱がある間に、色々と魘され、いろんなことをのこだわりをはがしていく体験をしました。それは自分の価値観ですが、こうじゃないといけないとか、こうありたいとか、自我をあきらめていくと、気が付けば、「そもそも自分は命があるだけで有難いじゃないか。今が十分有難いじゃないか」と感じられ、自分の価値観が外れると、自他がなくなって周りのこともよく見えたり、有難く感じられたりという体験を夕方にしました。健康なるとまた、欲なのか我なのかがとりついてくるかもしれません。いつも感謝の心と言葉で、穢れを払っていきたいと思います。

  4. コメント

    日本古来の和の精神や、八百万の神々という発想は、根底に活かし活かされているという感覚があり安心するものがあります。絶対的な何か一つのものがあればそこに突き進みやすい感じもありますが、その分排除されるものも多いことを思うと、例え相反すると感じるような物事でさえ調和して吞み込んでいけるような柔軟さが必要なように思えます。

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