経営視線~一緒に働くということ~

人にはそれぞれに自分の見ている視野というものがあります。その視野の広さによって、どこまで物事が観えているかがはっきりしてきます。そういう人たちが集まって集団や組織をつくるのだから、その視野がどのように共通理解されているかで協力の仕方もまた変わってくるものです。

例えば、会社組織でいえばよくバラバラになっている感じがする組織は個々が自分勝手の視野や視点で自分の仕事のところだけをみて働こうとします。目の前の作業ばかりに追われ視野が狭くなってくると余計に会社全体の目的や目標を見失い、自分だけの仕事に没頭しているうちに他を邪魔し自分だけの仕事で良し悪しを判断して非協力的な雰囲気を出していきます。

本人はちゃんと仕事をしていると思っていても、それは自分の小さな狭い視野でのことですから笑えない話ですがひょっとすると仕事はできても会社が潰れたということにもなるかもしれません。

人は自分だけの視野に閉じこもったり、何のためにということを思わずに部分最適ばかりに目を奪われると視野が狭くなっていくばかりです。

そうならないためには日ごろから視野が狭くならないような仕事の仕方、働き方が必要です。言い換えれば視野を広く働く仕組みや訓練が必要だと思います。例えば、全体最適を目指し、なぜ会社にこの仕事が必要なのか、全体的に何を目指しているのか、常に今の自分が取り組んでいることを、長い目で考えたり、さらには広い視点で本質と対峙したりしながらみんなと協力し合って全体最適になっているかと常に視野を広げるフィードバックを求め続ける必要があります。

バラバラではないというのは、個々の勝手な視野で部分最適に行うのではなくみんなで一緒に広い視野を持ち合って一緒に取り組んでいくということです。別にみんなで同じことを一斉にやることが一緒にやることではなく、みんなが同じ目的を共有し同じ視野で一緒に取り組んでいくということがバラバラではないということです。

視野が狭くなるのは、自分自身に囚われたり評価を気にしたり、保身やプライドや我が邪魔していることが大いに影響があると思います。自分の心配をして全体を意識しなくなればそれは視野が狭くなります。協力しやすい風土や、助け合いの風土が自分の視野の狭さによって作業に没頭し閉じこもったことでぶち壊されていることを自覚する必要があります。先ほどの自分の仕事はできたけど会社が潰れたは、言い換えれば自分の作業はできたけどみんなの働きには貢献しなかったということになりかねません。会社やトップが求めているのは部分最適ではないことは明白です。そうならないように「一緒に働くときの働き方」を新たに身に着けなければなりません。

ここで最も大事なことは「常に視野を広げるような働き方をすること」でありそれは自分の心配よりもみんなの心配をすることや、会社が目指している大きな目的や理念の方をみて、本当は何をすることが本来の仕事なのかと常に周囲と一緒に思いやりをもって取り組むこと。つまり常に視野が狭くならないような働き方をすることではないかと私は思います。

目的も本質も知らずに作業をするのは、効率優先結果優先、評価優先で刷り込まれてきた歪んだ個人主義の影響を受けたのでしょうがその刷り込みを打破するためには視野を広げ、視点を合わせみんなで一緒に取り組む新たな習慣を身に着けてみんなが経営者のようになって働いていくことだと私は思います。それをみんなが経営視線になるともいうのでしょう。

引き続き、課題も明確になっていますからどうあるべきか深めていこうと思います。

  1. コメント

    「視野が狭くなる」のは、「自分の予定、自分の仕事、自分の成果、自分の評価、自分の未来」と「自分事」が優先するからでしょう。「全体最適」か「部分最適、個人最適」かというのは、「優先の問題、順序の問題」でもあります。「まず自分の都合を持ち出す」と、どうしても「自分最適」になってしまいますから、その都度、発想転換する訓練が必要かもしれません。

  2. コメント

    二人三脚で自分だけ一生懸命走っても、一緒に走っている人と息が合わなければ、転んだり足が突っかかってしまいます。息が合えばだんだんと勢いを増しますが自分の事だけ、ゴールだけを目指しているとうまくいきません。人数が増えればなおさら息を合わせる大切さを感じます。一人よがりに突っ走っていないか反省し、チームの中の一員であることを大切にしていきたいと思います。

  3. コメント

    理念の理解度が異なったり、価値観の違いがあったり、個性が違ったり。それが当たり前となり、いのちがかがやく為にも、理念を掲げるだけでなく、今を見つめながら全体の計画を立てていくこと、そして今を見つめながら改善していくことが大切なのではないかと、保育課程を見ながら感じています。視野が狭くならない仕組みとして、社内実践が役に立つ機会が増えていくように感じます。

  4. コメント

    「受容」というものを受容することが難しく感じることがあります。ある園の理念に「居心地の良い」とはお互いに内省している状態とありましたが、それは到達するものでなく継続によって維持し続けるものと思えました。相手が自分がと捉われる時は異なりを無くそうとする心情ですが、そこに到達することはないからこそ、一緒に異なりのまま活かせるよう、お互いに内省して思いやりを大切にしたいと思います。

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