時の流れ

昨日は時の感覚について個人差があることを書きましたが時には同時に遠近によって待つ長さも変わってくるものです。遠大な目的や目標がある人は、時はゆっくりと時間をかけて動いていくものです。それは例えば自然界のように徐々にゆるやかに変化を続けていきます。

地球誕生の45億年といいますが、宇宙などは私たちが想像を超える年数を経て今でも変化を続けています。その時の流れはあまりにもゆるやかで私たち人間からみるとまるで何も変化がないように見えるものです。

しかし実際は、ゆるやかで大きい流れはとても偉大な変化であり目に見えることとは異なり目に見えないところでは想像を超えた変化を続けていることになります。私たちは目に見える変化をみては一喜一憂して迷い悩み、判断ばかりを焦ってしまいますが実際にはこの偉大な変化の方に心の目を向けて観れば流れに任せるしかないという境地に至るのです。

偉大な変化の中で自分に与えられる役割というものは自分の目からはわからないものです。それは自分を超越したものに身を委ねるときに大任を預けられていることを直観するときに天の目というか偉大な変化に任せようという心持ちになります。

どうにもならないことに身を任せながら与えられた今に最善を盡していくという生き方は、まるで変化そのものと一体になった姿です。そうなることで絶対安心を感じられ、安心立命の心を持つこともできるように思います。

しかしそうならないことが多いのは、迷いがあるからです。その迷いは、目先のことに囚われ視野が近くなり遠大でゆるやかな変化を感じることがなくなってくるからです。自我の欲望を捨てることや、執着を忘れることや、自利をゆるすことは迷いを取り払うためには必要です。迷うことで人は心を亡くし、迷いから覚めて素直に反省し心が甦るようにも思います。

素直さというものは丸ごと信じきることで、言い換えれば自分には運があるという物の観方、また時に任せて委ねて信じて歩む生き方ができるということです。時はそういう人の味方になり、時がすべてを解決してくれるようになります。

時の流れというものは、誰にも平等ですからまた時がすべてを司りすべてのご縁を結んでくれるように思います。時を信じきる、時を信じ抜くという実践こそが、見守られていきるという私たち人間の目指す生き方かもしれません。

伝統と伝承を守りながら新たな道を切り拓いていきたいと思います。

  1. コメント

    時は自分がいる地点から下流へ流れて行くイメージでしたが、上流から流れて来ているのだと、時の遠近の話からそう感じました。流れ来る時をどのように受け止めるかは、自分自身にかかっていると思うと、ありのままに受けとめるほかありません。今できる最善を尽くしていきたいと思います。

  2. コメント

    「変化そのものと一体となる」ということが、本来の「時の流れ方」なのかもしれません。素直でないのも、待ち切れずに焦るのも、結局はこの「流れ方」に反しているからでしょう。何をひとりであがいているのか?!何にしがみついているのか?!この「時の違和感」「タイミングの差異」をヒントに、自己のこだわりを見つめ直したいと思います。

  3. コメント

    流れを邪魔しないという観点は、なによりも自分が入っていませんが、何故こうも自分を入れてしまうのか、信じる信じないも、良い悪いも、好き嫌いも、刷り込みや刷り込みじゃないも、全部自分が入り込みます。子どもを見るとき、判断せず、丸ごとを見て、ただ自分をどう活かすかだけですが、自分が入るということは、自分を活かすのが面倒と感じたり、大変と感じる自分自身の深層心理なのかもしれません。結局はそれが流れを邪魔するのかもしれないと、危機感を感じます。面倒や感情が湧き出る時ほど、軸足を刷新していきたいと思います。

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