仕事とは何か、生き甲斐とは何か~人生の大切な問い~

今の時代は、生き方と働き方を分けて考える人が増えたように思います。仕事は仕事だと分けて考えるようになり生き方と次第に分かれていったように思います。本来の仕事は生き甲斐を感じるものですが、損得勘定が入ってくることで楽ができることが得であり、苦労することが損であるという考え方から余計に生き方から遠ざかっているようにも思います。

この生き甲斐というものは、生きるに値する価値のことですが自分が志した目的に向かって命を懸けることができるときに感じられるものです。自分の命を懸けてまで取り組んでいることに如何に価値を見出して働くか、そこが人生を味わうことと関係しているように思います。

ニュースキャスターの池上彰さんが生き甲斐についてこう解説しています。

『自分が社会の中で何か役立っているなということを認識できて初めて生きがいを感じる事が出来るんですね 社会における自分の価値や存在を認識するその作業が「働く」という事なんですよ』

人間は本来「働く」ときにこそ、その生き甲斐を感じることができるということです。

よくスケジュールや時間に追われて、ただ目の前のことをやるだけの仕事や、上司の命令やお客様の要望をただ終わらせることが目的になっている仕事などは決して生き甲斐にも働くことにもなりません。すぐにこんな状況に陥る人は、どこかで本来の目的や働くことを忙しいという理由で初心を手放すことでそうなるのです。

仕事をすることは人生とはどこか別のことのようになっている状態は、たとえば学校でやらされた義務教育と実際の人生が別のものになっているものと似たようなものです。過去の刷り込みからそうやって人生と分けて考える癖を持っている人は、仕事が本当の意味で楽しくなることはありません。またそういう状態の時は決して初心のままに取り組んでいることもありません。先に作業があって初心を後付けというものはないからです。初心があるから作業に価値が出てくる、それが生き甲斐になるという構造だからです。価値を創造するのは価値を決めた人間の質に左右されるのです。

だからこそ日々初心を忘れないようにするには、目の前の仕事を如何に楽しむか、楽しくしていくかに懸かっています。この楽しむとは仕事の価値を如何に自分が認識し続けるか、つまりは苦しく辛くてもそれが次第に大好きになってく、まるで目的に向かって人の役に立ち徳を積んでいけることが歓びなるような生きる姿勢の鍛錬こそが生き甲斐を感じる生き様になります。仕事ばかり増えて働くことがないことほど人生で寂しいものはありません。

仕事を嫌々やっていれば仕事が増えれば文句を言い、仕事がなくなればまた誰かに不満を言う。こんな自分にとっての損得だけの物差しで責任転嫁ばかり続けていたらもっとも不幸になるのは自分自身です。この世界の問題は他人事ではなく自分ごとであると当事者意識をもって責任を持つことができればその自分にとって嫌なことがすべて世界や社會に大いに役に立つことに気づけるのです。傍を楽しくするのが働くことの本質だからです。

仕事を如何に面白くしていくかという取り組みは、自分の人生の生き甲斐を伸ばすために大切な素養になります。そのために必要なのは常にその仕事の本来の目的を見つめることです。仕事の目的は必ず自分の人生の目的と繋がっているはずです。そしてその目的に向かって取り組んでいるとき、池上さんが言うように「自分の価値や存在を認識できる」状態になります。これが目的意識をもって働いている状態を維持し、人生の生き甲斐になるのです。

何のために自分の人生を使うのか、何のために自分はこの仕事をするのか、当たり前のことですが単に作業を終わらせるためにではないし、早く楽をして休みたいからや他のことをしたいからというのではないのは考えればすぐにわかるものです。

日々に流されて目的を見失い自分から仕事を無価値なものにしないように常に初心を忘れないこと、つまりは生き方と働き方を分けないままの自分で取り組んでいくことが大切なのです。そしてそれは働くことを楽しむことで心を亡くさない状態を維持します。沁みついた生き方の癖は、働くことを楽しむリハビリで必ず修正できます。

私でいえばやっていることはすべて子どもの第一義になるのだから損な仕事など一つもないとすべて意味を見出して取り組んでいるうちになんでも楽しくなってきます。この楽しいという気持ちは、いつも子どものためとイコールなのです。

最後に本田技研工業の福井威夫社長の言葉をご紹介します。

「自分が楽しまないと本当の仕事はできない。自分が楽しんで仕事をすれば、それが会社の為にも世の中の為にもなる。」

これは決して欲望の楽ではなく、「初心が楽しんでいる」という境地のことなのでしょう。

生き甲斐をもって働くことが未来の子どもたちに道を伝承できる本当の仕合せです。引き続き生き甲斐をもってこのブログも楽しく取り組んでいきたいと思います。

  1. コメント

    「仕事を片付ける」という表現がありますが、これは、「嫌な宿題を早く終わらせたい」という感じに似ています。「仕事が溜まっている」という表現も同じで、「早く終わらせて、消し去りたい」というとらえ方になっています。これでは、仕事が「苦行」であり「雑事」になっています。人生とは「経験」でもありますが、それは「何をしたか」ではなく「どう味わったか」ということです。仕事だけでなく、すべての経験を丁寧に味わいたいものです。

  2. コメント

    子どもたちが先生の名前を呼び掛け、ニコッと笑顔を返す、その様子を見るだけでほっこりするものがあります。いつもの何気ない様子かもしれませんが、誰かが笑顔になり、お互いが笑顔になれることは大切なことのように思います。以前、日本理化学工業株式会社さんを見学させて頂いた際に、「人間の幸せは、愛されること、ほめられること、人の役に立つこと、人に必要とされること」と教えて頂きました。仕事をした気になったりせず、自分自身が笑顔で楽しく働いていくことを大事にしていきたいと思います。

  3. コメント

    現場の先生方の声を聴くと、仕事そのものの不満よりも、組織内での不平等さや、心の風通しの悪さ、評価や批判される職場、仕事が偏る体制、教え込ませる体制など、どちらかというと目指す保育とことなる文化に困惑し、疲れ、ゆとりがなくなっているようにこの1週間の中でお会いした方と話す中で感じました。そんな環境を作ってから自分自身も学び、何をすべきか見つめていきたいと思います。

  4. コメント

    「袖振り合うも多生の縁」という言葉がありますが、人との御縁にどのような意味を持たせるのかは自分次第なのだと思います。その縁を本来のままに活かそうと味わおうとする心は、楽しむという心に似ているのかもしれません。手垢の付き過ぎた「勉強」や「仕事」という言葉に捉われることがないよう、人生としてそれが何であるかを自分自身の本心に常に確認していきたいと思います。

  5. コメント

    今月から入った職場の、現場のスタッフの皆さんの意識と行動を変革していくにあたり、自分自身が”仕事”について再確認しようと「仕事とは」で検索し、拝読させていただきました。子供の頃から、地域との繋がりや手伝いなど、家族を含め社会との繋がりが気薄になっていることが、かつては学校で習うこととの”つなぎ”になっていたが、それがなくなってきている現代には全くの別もの=今やっていることは、将来に役立たない、と感じる子(親も?)が増える原因になっているかもしれないと感じました。

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