心の訓戒

以前、「心訓七則」という文章を読んだことがあります。作者不詳ですが、一つの訓戒としてはとても奥深いものです。これは愚直に生きるための自己内省の基準にもなるように思います。

一、世の中で一番楽しく立派な事は一生涯を貫く仕事を持つと云う事です
一、世の中で一番みじめな事は人間として教養のない事です
一、世の中で一番さびしい事はする仕事のない事です
一、世の中で一番みにくい事は他人の生活をうらやむ事です
一、世の中で一番尊い事は人の為に奉仕し決して恩に着せない事です
一、世の中で一番美しい事はすべての物に愛情を持つ事です
一、世の中で一番悲しい事はうそをつく事です

これはこの逆を考えてみるとわかります。目的も持たず人生を懸けられる仕事をせず、精神修養もしない、人のためによりも自利に走り、他の誰かと比較しては不平不満で妬み羨み、損得勘定で他人を評価し裁き、自分のこと以外無関心で、嘘をつき言い訳ばかりをする、このようには生きてはならないという訓戒です。

世の中というものは、自分の生き方でどうにでも観え方が変わってくるものです。自分が正直に生きていれば世の中は美しくなり、自分が不誠実で生きていけば世の中はただ世知辛く感じるものです。

誰がどうであれ、自分はこう生きようと信念をもって信条を優先して生き方を貫けばこの世はその通りの世の中になるものです。つまり自分次第でいくらでも世の中が変わってみえるということです。

だからこそ重要なのはいつも自分が世の中に対して如何に心の姿勢を正しているか。正直であるか愚直であるかと確認し続けることが大切なように思います。人はそれぞれに心訓というものを持ち、自分の心がどんな時でもちゃんと着いてこれるように日々に心掛けを実践していくしか真に仕合せの道はないということでしょう。

これを別の言い方で「平常心」とも言いますが、如何に常に自分に打ち克って心で決めた信念を優先することができるか。平常心を保ちながら試練を通して人生を磨いていくのが人生です。一生涯ずっと自分との闘いとも言えますが、それが人生をよりよく生きるということの本懐だと私は思います。

子どもたちにもそういう心の在り様を観て訓戒を持てるような生き方の背中が遺せるように日々に愚直に正対し内省していきたいと思います。

 

 

 

  1. コメント

    人は、「方針」をいうものを持つと、「感情」を乗り越えることができます。これは「心掛け」といってもいいですが、そういうものを持っていないと、「その時々の感情や雰囲気」に負けてしまいます。そういう意味では、「生き方を決めて生きる」ということがとても大事でしょう。「生き方」とは「選択の仕方」でもあります。「そちらを選ぶのはなぜか?!」それをしっかり持っておきたいと思います。

  2. コメント

    「心訓七則」には、いつの時代も変わらない大切なことが書かれていると感じます。振り返る軸を持ち、私たちで言えばそれは理念であり、心訓が感情や行動に現れると思うと、何を心に持つかは大切なことなのだと改めて感じます。心の在り方が自分自身を創っていくからこそ、日々の心掛けを大事にしていきたいと思います。

  3. コメント

    修身教授録に記録された講義の一つに「平常心是道」がありますが、是が道であるという感覚は以前よりも増してきたようにも思えます。「暑い」「寒い」を言わないだけならただの痩せ我慢でも出来ますが、その暑さや寒さにまでも意味を感じ自分を鍛え正し守ってくれているものだと生き方の次元から受け取ることが出来れば、そこに不平不満はなく、それこそが道を歩む者の基本姿勢と言えるのかもしれません。

  4. コメント

    七訓を子どもだったらと読むと、自分のやりたいことややりたくないことを自ら選択するという機会をどれほど持ってきたかという点もありますが、同時に一つのことにどれほど意味を感じられているかということを感じます。これは、保育における「三昧」ということなのではないかと感じました。社会は、少しでも先が出来たり、結果が出ると、もっと先もっと先と、社会が求めるレベルや誰かが求めるレベルへと引っ張りたくなってしまいますが、本来は社会はその人のできるようになったことを一瞬ではなく残枚できる環境を用意することや寄り添うことも大事な責務であるように感じました。足りない足りないと求める前に、今の発達を存分に味わい、主体的に貢献してもらうこと。そういった環境づくりとどんなことなのだろうと、これもまた探求していきたいと思います。

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