近未来の準備

暮らしの甦生に取り組むことで、次第に先人の智慧に触れる機会が増えています。先人たちの生み出した道具やその仕組みはどれもまさに「智慧」と呼べるものばかりで、教えなくても学べ、語られなくても語るかのように触れているだけで自動的に習得していくものばかりです。

言い換えるのなら、暮らしの古道具たちはすべて私たち子どもの「先生」であるといっても過言ではありません。古道具には知恵があり、暮らしには仕組みがある。これが日本民族の永続する鍵であることは伝統を学べば誰でも知りえるところではないかと私は思います。

私たちは言葉を用いて様々なことを学びますが、まだ言葉をあまり知らない幼児期は感覚によってそれを習得していくものです。感覚とは、五感のことで触る、聴く、見る、嗅ぐ、味わうなどの人間の持っている感性によって得て学ぶものです。

この時の学びは理屈で学ぶのではなく、そのもののあるがままの全体を直観的に掴んでいきます。厚い、重い、渋い、温いなど、その感覚によってそのものの「いのち」や、そのものの本来の姿の雰囲気、自然のカタチなどを受観していきます。

子どもたちは今の私たちが自然から学ぶように、「暮らしの知恵」から生き方や考え方、大切なメッセージを受け取っていくのです。先祖たちはそういう直観的に学ぶ智慧の重要性を自覚していたからこそ先人からの暮らしを途絶えさせずに維持していたのではないかと私は思います。

もしも子どもの頃にその智慧や仕組みに触れたなら、先人の初心が伝承されるはずです。そうやって連綿と続いてきた精神や文化を繋ぎつづけることが今を生きる大人たちの大切な使命です。

引き続き、風土を深めつつカグヤがこれから取り組むであろう近未来の新しい道徳経済一致のビジネスに向けての準備を着々と進めていきたいと思います。

  1. コメント

    今年一年怒涛の如く、古民家「聴福庵」の実践が進みましたが、改めて振り返ってみると様々なことがあったことを感じます。人に伝えるということは、よく自分自身が理解して深めていないと難しいことも感じます。本来、暮らしの中で伝えていたであろうことも、今は実体験が少なくなっていることも事実であろうと感じます。「聴福庵」という存在がこの先もあの地にあり続けられるよう、大切にしていることを発信していきたいと思います。

  2. コメント

    それぞれの個性は「音」で現すことができ、それが繋がった「旋律」で特定の人やもの、状況を現すことができる、と聞いたことがあります。同じように、すべてのものは、「色」や「形」、「大きさ」や「重さ」、「感触」や「存在感」などを通して、その個性や念いを伝えているのでしょう。暮らしを引き継ぐなかで先人の智慧とメッセージをしっかり受け取れるよう、丁寧に丁寧に接していきたいと思います。

  3. コメント

    仲間の発信から「ことわざ」の持つ意味の深さが感じられました。今はこの「ことわざ」も廃れつつあるように思いますが、それは背景にあった暮らしが失われ、本来の教えのチカラを失ったからかもしれません。言葉自体は知っていても、そのものをよく知らないというのは現代の特徴のように思えます。失われていくものの大きさを感じると共に、改めて何を甦生していくのかを感覚で掴んでいきたいと思います。

  4. コメント

    命に触れる智慧というのは子どもたちに残していきたい環境です。命の側にいて、喜怒哀楽を体験し、命を育て、命を頂く体験から、報恩感謝を体験するように感じます。教え込むことは難しいですが、そもそも子どもたちはその感性や智慧を感じるアンテナを遺伝子レベルで受け継いでいるように感じます。それは、環境があれば子どもがそれを感じているからです。そういった環境を排除しないことを自分自身は意識し、智慧の伝承を体験から学び、仕組みに変えていけたらと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です