物語を磨く

人生には物語があります。どのような物語を創って生きるのかはその人その人の「思い」が決めるとも言えます。私たちは物語に生き、物語を共にすることでその「大切な思いが出て」きます。これを「思い出」といいます。

過去に誰かと一緒に生きた記憶は、それぞれの「思い」が折り重なり一つの「思い出」になってお互いの心に宿ります。一つの思いが多くの人たちの思いと繋がってますます「思い」は温められ育っていきます。

物語とはその思いの集大成です。

この物語は終わりはなく、いつまでも生き続けていきます。自分の生きている間は、その物語を創り続けることができますがもし死んでしまったとしてもその物語は終わりません。それはその物語と共に生きた人たちがその物語の続きを創り続けてくれるからです。

今の私もかつての人たちの物語の縁線上にいてその物語の続きを結び続けている存在でもあります。たとえ人は死んで肉体が失われても魂は生き続けるといいます。この魂という字を「物語」に書き換えるとわかるように、今を生きる私たちは死んでいった人たちの物語の続きを記し続ける使命があるということです。

宇宙も同様に、目には観えませんがその物語を記し続けている存在です。

二度とない人生の中で、どのような物語を描くのかはそのあなたの「思い」です。

「思い」が具現化されてカタチになっていくとき、人々はその物語を目にすることができます。同時に、その物語の背景にある人々の遺志を受け取ることができます。伝統を継承することも、伝承を守り続けることもまた、故人のいのちと一緒に生き続けるということかもしれません。

終わることがない永遠の物語と、永久の今。

子どもたちのためにも、常識に囚われず世界共通の人類のテーマに向き合いこの今の一期一会の物語を磨き続けていきたいと思います。

  1. コメント

    司馬遼太郎さんは、「史実」だけでは歴史にはならない。誰かが語って初めて「その人の歴史ができる」と仰いました。この「語り伝え」というものがないと、私たちはほんとうの歴史というものが学べません。しかし、それが偏見で語られたものであっては困ります。そういう意味でも、多くの人が語り伝える中で明らかになってくる真実を学び、それをまたきちんと伝えていきたいものです。

  2. コメント

    高校時代、部内の仲間がリレーでインターハイに出場しました。目には見えない思いを共有し自信をつけ続け躍進を遂げたことを思い出しました。そして、この思いは種蒔きにも似ているように感じました。土に埋まった種は1度見えなくなりますが、着実に根を張ったものは大きく芽を伸ばすと思うと、今は映画になりそうな物語でなくたったとしても、今を大事にしていきたいと思います。

  3. コメント

    今日で保育園での実生活が終わりを迎えます。この物語は、私、妻、子どもたち、先生たち、保護者たちと一緒に作られ、広がり、誰かに語り継がれていくのかもしれません。今は何より、この物語にたどり着くご縁を、自分たちの不安や迷いで断ち切らなくてよかった。この保育園に出会えてよかったという思いです。今朝、子どもとも、夫婦でもその想いを持っていることを確認した時、あの苦しかったり大変だった6年前が大切な宝ものになりました。信じて歩んできたものが宝物になる豊かさを子どもたちにも増やしていければと思います。

  4. コメント

    ある法人様で核となる園長が変わられ、主がいなくなったその園の姿に複雑な思いがしました。守るものは何なのか、自分自身も主の思いを聴かせて頂いた一人であるからこそ、その方向性を見守っていきたいと思います。「家、家にあらず、継ぐを以て家とす。人、人にあらず、知るを以て人とす」と世阿弥の言葉にありましたが、理念を聴かせていただく者として、その覚悟を高めていきたいと思います。

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