伝承の知恵

むかしのことを調べていると、時代環境によって伝承の仕方が変わってきているのが分かります。現代はむしろ伝承だけが消失している気がして大きな危機感を感じます。

例えば、むかしはお坊さんが説法などで因果応報が原理原則などを怖い物語で語っていたことなどもあります。幼い頃は、鬼が出るや妖怪や幽霊、地獄の話やバチがあたるなどの話を聞くと怖くて身震いしていた記憶があります。

怖いという感覚は、そのまま畏怖になり神様の存在や目には観えないけれどそこには外れてはならない道が存在していたように感じました。日本昔話に出てくるお地蔵さんの話や、各地での伝承の話にはすべてその土地や風土で起きた悍ましい出来事に子孫たちが再び出会わないようにと口伝によって伝承されてきたものもあります。

まさにこの伝承は人類の知恵であり、人類は教えずとももっとも大切なことは何百年、何千年と教わってきたとも言えます。神話なども同様に、恐ろしいものもたくさんありますがこれは怖ろしい物語によってかつて先祖たちが何かしら体験した教訓や回訓を直観して気づくような仕組みになっているのです。

今では文字や映像など記憶媒体が進化していますが、すぐに忘れ去られることが多く短期記憶になってしまいます。先ほどの畏怖は、一生忘れないような長期記憶であり大事な場面で私たちの判断基準に大きな影響を与えます。

特に勧善懲悪の話や、因果律の話、さらに道理や原理原則など昔の伝承の中にはその智慧がふんだんに詰まっています。それを幼い頃から知識ではなく智慧で持つことは、その後の人生の歩む道中の叡智となってその人を助け見守るのです。

学校で教えるような教科書的な知識でテストのために暗記するようなものではなく、その恐れを直観する人や道理に精通した人物たち、経験者や年配の覚者たち、むかしでいえばそれがお坊さんや長老、神官、儒学を学んだ武家、修身修養した人物たちによってそれは子どもたちに語り継がれてきたのかもしれません。

子どもたちを育てていたのは一体誰だったか、どのような環境だったか、時代が変わっても変わってはならない本質というものがありそれが文化や伝統の中に存在しています。

引き続き、子どもたちにとって温故知新する必要がある時代の保育環境を見つめ直していきたいと思います。

  1. コメント

    毎年、初詣の帰り路にあるお寺で「地獄絵図」を見せられ、その話がとても怖かったのを今でも覚えています。大人から聞く神話や昔話、宗教的な法話、説法、地域の伝説などは、「善悪の判断」や「与えることと奪うことの違い」そして「見える世界と見えない世界の関係」などを物語として伝えていました。その物語を通して教えられる道理や因果律は、学校の勉強とは違う「暮らしの智慧」です。「伝承」という仕組みと智慧の重要性を改めて感じます。

  2. コメント

    夏の時期になると稲川淳二さんがTVで怪談話をしているのを見かけます。怖くて耳を塞ぎたくなりますが、でも聞いてみたくなったり、昔は口伝されていたことが今では話せる人が少なくなり、夏の風物詩のようになっているのかもしれません。目に見える環境だけでなく、見えない環境が人を育ててきたことを忘れず、聴福庵を通して考えていきたいと思います。

  3. コメント

    文字や映像などはハッキリしたものだからこそどこまでもその理屈を追求することが出来るように思えてしまいますが、本来の伝承とはそのようなものではなく、もっと観えないもの、感覚的なものだったように感じられます。受け取り方はそれぞれでも大事なものは伝わっている、そんな感覚が近いようにも思えます。心に響くものをそのままに受け取っていきたいと思います。

  4. コメント

    体験を文字にして伝えるのと、体験のままワークショップで伝えるのは全く違うのだと感じます。やってあげるのではなく、自立を見守るとは伝承をするということなのかもしれません。次の人が助かるように、伝承とは何かを考えて仕事をしていきたいと思います

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