日本伝統教育の甦生

日本には古来から優秀な教育方法があります。明治時代に教育方法も西洋式のものに移行し、それまでの日本の教育を捨てていきました。150年前にあったものがなくなってしまい、現代の状況を省みると今一度、自国の歴史に学び、日本の伝統的な教育の本質を学び直し温故知新していく必要性を感じます。

以前、深めた教育方法の一つに鹿児島の「郷中教育」というものがあります。もともと島津藩で編み出されたこの教育方法はその後、大勢の偉大な人物を輩出する基礎になりました。最近では西郷隆盛が注目されていますから、同時にその西郷を育てた教育も改めて参考になるように思います。

その郷中教育とは何かと説明すると、現代でいうところの郷中=町内で実施していた教育方法です。薩摩藩は城下町の一定範囲を「郷」で区分していましたこの「郷」を現代で言う所の町内のようなものです。つまり町内会の教育制度のようなものでそれぞれの「郷」で暮らす中で子どもたちは町内で見守られながら教育を施されました。具体的には6、7歳〜10歳までを「小稚児」(こちご)、11歳~14、15歳までを「長稚児」(おせちご)14、5歳〜24、5歳までを「二才」(にせ)、24、5歳以上を「長老」(おせ)と呼び、それぞれがグループになり、読書、剣術などの修行を行いました。

この郷中教育の特徴は、子ども同士で学び合う仕組みです。保育の世界では、異年齢保育などという言い方をしますが、子どもの発達段階に応じて年長者が年中少者を教え導く伝承の仕組みです。つまり長老(おせ)が二才(にせ)を教育し、二才(にせ)が長稚児(おせちご)を教育し、長稚児(おせちご)が小稚児を教育する。このように、年長者が年少者を教育するのです。西郷隆盛が生きた幕末の薩摩藩には、全部で23の郷中があったといいます。この23の町内でそれぞれに見守られながら子ども同士で学んでいました。本来、むかしの日本はほとんど両親は農作業などの日常の暮らしに没頭するため家庭での子どものお世話はお祖母さんが行っていたとも言えます。教育ママなど出てきたのはエリート教育を施し始めた明治頃からであり、それまではほとんどは教育はお寺のお坊さん、武士、儒学者などの一部の人たち、それ以外はすべて子ども同士で行っていたのです。それを地域の大人たちが遠目に見守っていたという具合です。

基本的には子どもはほとんど両親の手伝いで勉強をする時間はありませんでした。実際に暮らしていくことはやることがいっぱいですから、子どもが子どもの世話をするのは当たり前だったのです。戦国時代を経て江戸時代になると藩の教育方法をさらに発展させ、全国各地にできた私塾や寺小屋によって子どもたちは劇的に学ぶ環境が出来上がりましたがそれまでは学校などもなく教育制度は発達していなかったのです。

郷中教育に話を戻します。

それではどのように郷中で子どもたちで学び合っていたのかということです。この仕組みがとてもユニークで、その教育のほとんどが徹底した口述「対話」が重視されたといいます。

具体的にはまず子どもは早朝からひとりで先生の家に行って儒学や書道などの教えを受け、その後は子どもだけ集まって「車座(一円)」になり、今日学んだ内容を持ち寄り口頭で発表しあいます。それを「詮議」といいます。

この「詮議」こそ郷中教育の根本的な教育方法であり、「君ならどうするか?」とお互いに質問し合ってそれぞれの解決方法をみんなで問いあい自分の意見を言いあう訓練をするのです。主体性や自主性、問題意識などを自分の力を使って物事を判断し行動する力を養ったとも言えます。

現代は、自分がどうしたいのわからないといった指示命令型の組織の中で教育された人は主体性が失われ受け身であることすらわからずに自分を見失うことが増えています。そういう幼い頃から、「自分で考える」ということを諦めた人は考えていいのは指示を出された後だけであり本来の「自分はどうするか?」、「君ならどうするか?」という根本問題を考えようとしなくなっていきます。これこそが主体性の欠落になり、自分の人生を自分の足で歩んでいくことができなくなるのです。

そのようなことがないようにここでは、必ず「詮議」をして「自分はどうするか、あなたはどうするか」と訓練をしてお互いの多様性を認め合う人間力や聴く力を高めます。

その後は、内省をして振り返り、どのように改善すればいいかを語り合い学び合いまた日々の修養に努めます。この「対話」という仕組みはまさに人間尊重の教育のあり方であり、私たちが取り組んでいる一円対話や団欒などにも通じています。

教育の根本的な方法は、古来からの日本の伝統教育の仕組みの中に入っています。この智慧を復古創新していくことが人財育成の鍵にもなります。

世界に誇れる日本の文化や教育が単なる輸入品だけというのは寂しいものです、私たちも社業を邁進しながら試行錯誤し日本の教育を甦生させていこうと思います。

 

  1. コメント

    「学び方」には、二通りあります。ひとつは「師から学ぶ」、そして、もうひとつは「仲間から学ぶ」です。「師から」は、道理や真理、法則などを学びますが、「仲間から」は、仲間の考え方や姿勢、そして、生き方などを「具体的な対話と実践」を通して学びi合います。これは、学ぶというよりは、「刺激を受ける」と言った方がいいかもしれません。人は、先輩の姿に憧れも抱きますが、「あの人は自分よりウンと真剣に考え、一所懸命に生きている」と感じたとき、「自分も負けていられない」と奮起したりします。私自身、いまも仲間の真剣な生きざまに、随分励まされ助けられています。

  2. コメント

    クラブや部活では先輩が後輩を教える体験があります。ただ詮議のようなことは、ほとんど学生時代にしたことが今、日々行っていることを感じます。スポーツ一つとっても先輩への憧れや、追いつきたい追い越したい気持ちが湧きましたが、もっと幅広くお互いに学び合う価値がまだまだ眠っているように思います。部活動など一部にとどめず、仲間同士の学び合いを自分自身も大切にしていきたいと思います。

  3. コメント

    塩、酢を使った日本伝統の締めを今日は練習しました。塩梅が難しく、まだ右も左もわかりません。梅干しもそうですが、日本文化を調べて見ても出来るわけではなく、また出来たと思っても、調べてみるともっと深い。8年実践してもまだまだです。年に1度ではやはり時が必要です。年中行事として様々な体験を通して深めていくのが良いと思って、今の旬から塩梅を学ぼうと思いました。どの季節も、丁度よいか!と感じられる感性を磨いていきたいと思います。

  4. コメント

    こちらが主になるのではなく相手が主になるように環境や仕組みを用意していくことや、マンパワーによらず先生方同士、園同士が繋がりの中で深めていけるようにとシフトしてきていますが、その提案やサポートの仕方自体が日本的な教育というものであることを先日のミーティングでも感じました。子どもが子どもの先生だった中で大人としての存在がどのようなものであったのかを掴んでいきたいと思います。

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