橋を架ける

現在、復古起新をしつつ暮らしを甦生させ子どもたちの未来に大切な日本人の心をつなごうと試行錯誤を繰り返しています。歴史を学び、先人たちの真心を読み、空間の中に佇んでいる言霊など、目には観えないものを手繰り寄せながら一つ一つを科学的にまた理論的に言葉にして整理することを続けています。

ユダヤの格言に、「自分の言葉を自分が渡る橋だと思いなさい。 しっかりした橋でないとあなたは渡らないでしょうから。」というものがあります。この言葉や文字もまた橋であり、その橋をしっかりと架けなければ人々はその橋を安心して渡ることができません。

よほどの勇気のある人でなければ濁流の滝つぼの上にある曖昧で不確か、そして今にも崩れそうで危うい橋を渡る人はいません。人々が渡る橋は、あちらとこちらが完全に繋がっていて安心して歩んでいける橋でしょう。その橋をつくるには、まず最初に自分が向こう側に渡る必要があります。そして渡ったら次にそこに橋を架ける必要があります。その橋が架かったのなら、最初は背中を押して一緒に渡っていける人を増やしそのうえで渡れた皆に協力してもらい向こう側とこちら側が安心して交流し行き来できるような立派な橋にしなければなりません。その後はその橋がまた崩れることがないように手入れを怠らずさらにその橋を見守り続ける環境を育てていく必要があります。

この橋を架ける仕事というものは、「つなぐ」ことです。何と何をつなぐかといえば、私でいえば歴史と今をつなぎ、子どもと大人をつなぎ、経済と道徳をつなぎ、自然と人間をつなぎ、人の心と心をつなぎ、世界と自分をつなぎ、文化と文明をつなぎ、目には観えないものと目に見えるものをつなぎます。

そしてこの「つなぐ」というのは、橋を架けるということです。

橋を架けるために、私はこのブログをはじめ、橋を架けるために自分に与えられたすべてを使って自分にできることを遣り切っています。その橋掛けは果たして何年、何十年、況や何百年、何千年かかるものなのか・・・考えると遠大で目が眩みます。

しかしその過程もまた橋になる途上ですから、その橋を架けることを豊かに歓びに換え渡る人たちのことを考えて丹誠を籠めて取り組みたいと思うのです。

日本人の仕事が世界で評価されるのは、後世の人に恥じないような仕事をすることです。私も目先の流行や、様々な我欲や、人間関係に惑わないように空を高く眺め、天の星の見守りを背中に感じながら橋を架けていきたいと思います。

この先も子どもたちが通る未来を楽しみに、橋を架ける人としての人生を歩んでいこうと思います。

  1. コメント

    新渡戸稲造の「武士道」の中で、「私は太平洋の架け橋になりたい」という文章を初めて見た時、架け橋という響きに心が踊りました。何かと何かを繋ぐという意味において、自分がどんな橋を架けるかは人生の問いであるようにさえ感じます。そして、ユダヤの格言から更に架け橋という響きが好きになりました。人同士が楽しく行き交う、そんな橋を架けていけるよう、実践を積んでいきたいと思います。

  2. コメント

    まず、「自分が向こう岸に渡る」この勇気が必要です。そして、こちらの世界だけで満足している人、あるいは、こちらの世界しか知らないがゆえに苦しんでいる人に、本来の世界を教えてあげること、知らせてあげることが重要でしょう。「橋」とは、そこを渡る手立てです。しかし、橋があっても渡ろうとするかどうかはわかりません。その先には、「その橋を渡るよう導く」努力が必要でしょう。

  3. コメント

    今まさに橋を架けようとして尽力されている方のお話を聴くと、心が打たれ何が大切であるかを思い返す機会をいただきます。それは子ども心にも響くものなのではないかとも思えます。そしてそのような姿以上に今自分たちが居るこの場所が既に先人が作って下さった橋であり、幾つもの橋を渡り今があるのだということを忘れないようにしたいと思います。

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