報恩=感謝

人間はうまくいっていることが続くと知らず知らずに自分を過大評価してしまうものです。本来は、自分は周囲に支えられていると自覚し何かの御蔭さまにによって活かされていると感謝しているのですが自分の思い通りにいくことで人間はすぐに傲慢になってしまいます。

そういう時は、謙虚さが足りないというように教えられ自分を磨いていくことができます。人間が傷つくということは、研いでもらっているのであり何度も擦れていくなかで原石は光ってくるのです。

いくら謙虚にと頭でわかっていても実際に謙虚になったわけではなく実際には出来事が発生して自分がまだまだであったことに気づき改善していくしかないように思います。

そう考えてみると、自分の言動には反省するところがたくさんあります。いくら相手から頼まれたと思っていても、最初は真心だったものが次第に自分が価値が高い存在だからと勘違いしたり、真実を見極めようとしていたはずが次第に正論をかざし自分が正しいと思い込んでいたり、自分の我に浸食されていきます。そうやって慢心すると本質が見えなくなってしまい仮初の自信ばかりを増やしていくのです。

本当の自信は謙虚さであり、常に心は澄んでおり全体が観通せそして感謝を忘れない状態です。相手を変えようとするのではなく、自分を変えようとし、自他を傷つけないようにと思いやりや優しさを忘れることはありません。

自分というものが何様かになってしまい、相手や周囲に対して傲慢な態度になってしまうと必ず人間関係に綻びが出てくるのです。今まで支えてくださった御恩を感じる心を忘れないことが報恩感謝であり、そういうものを忘れて自分にとっての良しあしだけで行動するようではみんなが仕合せに一緒一体になることはありません。

今日は天神祭ですが、天神祭が実施できるのは今まで御祭りしてくださった方々の御蔭様、古民家を残してくださった方々への御蔭様、菅原道真公、そしてあらゆる氏神様の御蔭様、加勢し力を貸してくださり、どんな状況でも支えてくださっているみなさんの御蔭で開催することができます。

まだ2回目ですが、すでに私にとって何が大切かを皆さんが諭してくださったように思います。真摯に学び直し、自分を変えて子どもたちのために少しでも貢献できるように精進していきたいと思います。

  1. コメント

    常に人に気を配り、楽しませ、楽しんでいてもなお省みるところがあると思うと、一筋ではいかない難しさと同時に、自分はどうなのだろうかと振り返らされます。天神祭を通してですが、改めて自分自身に問いて振り返り、自分自身を省みていく生き方を目指していきたいと感じます。

  2. コメント

    「感謝」をわかったつもりでいても、「自分はほんとうの感謝がわかっていなかった」と必ず反省することになります。「謙虚さ」も同じで、どこまでいっても「まだまだ謙虚さが足りない自分」を反省させられます。この理由のひとつに、「自分の理屈」があるかもしれません。自分の理屈を展開する過程のどこかで、ズレたり曲がったりしてしまうのでしょう。しかし、それを誰かがちゃんと教えてくれます。その時こそ「自分の理屈」の癖を見直すチャンスとしたいと思います。

  3. コメント

    何かに対して不満を思ったり愚痴を言いたくなりそうな時に、一呼吸おいて自分を省みることの大切さを感じますが、それはどんな物事も肯定して受け入れられる力のようにも思えます。逆手に取るという生き方もそんな明るさがなければ難しく、批判ではなくお陰様と感じながら、研ぎ澄ませていきたいと思います。

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