ずっと一緒に居たい人たち

人間は自分に本当の自信があると謙虚でいられるものです。自分の存在がすべてに満ちていて同時に他人も同様にすべてが満ちていると思う人は感謝の心を忘れることはありません。

もっともっととないものねだりをしては、今に不満足、自分に不満足であれば自信を持つことができず人間関係にも綻びが出てくるものです。自分に自信を持つというのは単に自分で納得できる能力を持てばいいのでもなく、周囲から評価されることの実績を出せばいいのでもなく、自分のあるがままを認め、他人のあるがままを認める強さがあってはじめて持てるのかもしれません。

幼い頃からの教育で、ないものばかりを指摘され減点法で平均より高い成績を出すようにと刷り込まれてくると自分は不完全であるように思いこんでしまうものです。そのため完全であることを求めては不平不満や言い訳などで現実を誤魔化すようになっていきます。

そうすると現実が仕合せでないから自信がさらに失われ、余計に他人の自信を奪ってしまうような生き方をしてしまうものです。本来、等身大のあるがままの自分を認めることができるのなら人はないものを求めずにあるものに感謝できるようになります。

向上心という名の自己否定は自信を奪うだけでかえって思いやりや感謝から遠ざけてしまうように思います。さらに拍車をかけて、忙しさや疲れや余裕のなさが蔓延るとお互いに傷つけあうような世知辛い社会をつくってしまいます。その悪循環はさらに自信を奪い合う連鎖を助長してしまうのです。

それを断ち切るには、まず自他をゆるす必要があるのかもしれません。自分をゆるせるのは自分を肯定することができるからです。そして同様に相手がゆるせるのも相手を肯定することでできるからです。

自己肯定ができて自他肯定ができるという具合に、大前提として自分はそのままでいい、あなたのままでいい、自分のままでいいとあるがままの価値を認めることです。そのままの魅力をどう活かすか、欠点もまた魅力になるほどにどう磨くか、そういう生き方が自己肯定感をより高めて本物の自信に近づきます。

自分の苦手なところもちゃんと自覚しつつ、それを信頼する人たちに助けてもらう。そして自分の得意なところでみんなに貢献していくという具合に、あるものを活かしないものもまたそれも人間関係を築くための魅力にしていけばいいのでしょう。

全部できなくてもできないところは仲間がカバーしてくれることで自分のことも活かせ周囲も活かせます。共生と貢献の関係を築くのです。そして全部自分ひとりでやるのではなく、できない自分をゆるし、できない周囲をゆるし、一緒に生きていこうとすることです。

「一緒に」生きるというのは、仲間がいるということで仕合せに生きていくことを選ぶということです。そしてずっと一緒に居たい人たちとは、どんな状況でも「お互いの価値を認め合える人たち」のことです。

そのような仲間に巡り合える人生の仕合せは格別なものです。

まさにパートナーとは、存在価値を肯定してくれる人ということなのでしょう。引き続き今の閉塞感の満ちた日本の社会で、子どもたちが自己否定するのを当然だと思ってしまわないように社業を通して仕事を通してイノベーションに貢献していきたいと思います。

 

  1. コメント

    私たちの周りには、たくさんの「否定的想念」が飛び交っています。それは、決して悪意ではなく、「人のことを心配してくれてのこと」ではあるのですが、結果的に人のやる気を削いでいます。また、自分に対して、発破をかけているつもりでも、結果的に「自己否定」になったりしています。「否定から肯定は生まれない」ということを再確認しておく必要があるでしょう。

  2. コメント

    意地悪で、自分勝手でわがままし放題な人とは一緒に居たいとは思えません。ただ、自分自身もそういった面が出ているのだはないかと気をつけなければ、人を不快にさせていることを感じます。そう思うと、お互い様なところもあるかと思います。自分自身の言動を見つめて、今に感謝することを大事にしていきたいと思います。

  3. コメント

    あちらの組織では非常に居心地がよく自然と楽しくもなり、相手の善い面ばかりが見えてきます。一緒に道を歩めることが有難くも感じられ、それが生涯通して行えることを思うと仕合せであることを実感しています。人との出会いや別れは作為なく天の計らいなのでしょうから、どのような関係にも意味があると捉えて、その与えられた意味に応えていきたいと思います。

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