おもてなしの本質

昨日は、大阪の藤井寺にある佐藤禎三さんのひな祭りを拝見するご縁がありました。3月3日をはさむ土日含む数日間、屋敷内全部を自由に開放しいろいろなお雛様をお披露目してくださいます。

すでに30年間、毎年これを自費で実施されてこられたことも驚くことながら4日間で約4000人ほどの来訪者の方々にお茶やお菓子も無料で提供されておられます。

「おもてなしの本質」とは何か、まさに生き方から深く学び直させていただきました。

佐藤禎三さんは、ご自分の数寄を純粋に徹底して極められておられまさに当代一流の数寄者であり遊び心に満ちた方でおられました。すべての暮らしの古道具も佐藤禎三さんの手にかかれば甦り喜びます。そしてすべての人形や陶器などの「もののいのち」もまるで披露宴のときように活き活きと輝きます。美しいものが穏やかに和して独特の空間を創造し場が落ち着いています。

そしてその喜ばせよう、喜ぼうとする純粋な想いとおもてなしの室礼は人々を深く感動させます。その物事の意味や本質を見極め、それを深く咀嚼し理解したものを自己のいのちを輝かせるように遊んでいくということが如何に美しいか、日本の精神文化や和の心の意味を改めて学び直させていただくばかりです。

また最後に、お抹茶と和菓子をいただき「ご馳走様でした」と感謝を込めて来訪者は笑顔で帰られます。ここにもお祀りされている韋駄天尊のように礼を盡されます。この韋駄天はもともとはバラモン教の神さまでしたが仏教に取り入れられて仏法や仏教徒を守る神様です。

「韋駄天」の由来と伝承はお釈迦さまがお亡くなりになった後、お釈迦さまの歯を盗んだ盗人を駿足で追いかけて捕まえ歯を取り戻したことから足が速い人のこといいます。

そして日本の礼儀の一つ「ごちそうさまでした」は漢字でご「馳走」さまであり「韋駄天」が駆け巡って食物を集めたことに起因します。ここからおもてなしをする「美味しい料理」という意味に転じ、その準備をしていただいたことに感謝する言葉になったといいます。

ご準備していただいたのを楽しみ喜ばれ恩着せることも一切なく、そこには自他の喜びのみがある。すべてのものが活き活きと喜ぶ価値観に触れることは、美しい暮らしそのものに通じています。

この学びを子どもたちの未来へ託せるよう、自己精進を味わって私も数寄を愉しみたいと思います。

  1. コメント

    佐藤禎三さんは、その肩書等から想像していた人とはまったく違う「超自然体」の方でした。その「遊び心」も、単なる趣味レベルではなく、一流を究めた後の「本質を楽しんでいる」という、実に奥の深さを感じるものでした。また、それは、「一つひとつのものの声を聴いて、いかに生かすか?!いかに輝かせるか?!」を楽しんでいるようでもありました。「真の遊び心は人を楽しませる」という世界を垣間見た感じがします。

  2. コメント

    30年無料開放し、たくさんの方を楽しませる行いは、何よりもご本人が楽しまれているからこそ、行えることなのかなと感じました。ここ最近、社内でひな祭りの話しを聞いたりと、行事の意味を改めて考えさせられています。子どもたちの健やかな成長を願うその実践を自分はしているだろうか、家族や地域のために何かしているだろうかとも、同時に考えさせられます。

  3. コメント

    和の心を大事にされてきた方の姿がこのようであるというのは日本人として嬉しいものがあります。同時にその「おもてなし」の中にある教えというものにどれだけ触れてきたか、気づいてきたか、受け継いでいこうとしているかと、先日の研修を受けたからこそ余計にそう思います。行いは違ってもその心は何物にも活かせるのだからこそ、根底にあるものを見倣っていきたいと思います。

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