初心を忘れるな

人間にはそれぞれに得意分野というものがあります。自分が得意なものを周囲に知ってもらってそれを活かしてもらえることは仕合せなことです。同じように周りの人たちにもそれぞれに得意分野というものがあります。

その得意分野を持ち合いながら助け合えることで人はみんなで大きなことを実現できるように思います。この得意は、特異でもあり、それぞれの異なりを活かすという寛容さや共感が必要です。

もしも自分のやり方ばかりが正しいと固執し他を認めなければすぐにギクシャクしてしまいます。お互いを認め合うためには、まず自分自身を認め、同様に他を認めるというプロセスが必要です。

自分らしさや自分のままであること、そのうえで同じように周りもそのように自由に認めていくこと。さらにお互いに自由なままで共通の理念や目的のために折り合いをつけながら助け合うこと。これらは人間としてのスキルになってきます。この人間スキルが、人間学であり修養でもあります。

この人間を磨いていく時期は、思いどおりにもならず苦しいかもしれません。しかしその苦しい時期は、自分が人間を磨いている時期だとし、慎独しながら自分の心に耳を傾け、本来の動機はどうだったかと初心を振り返り、何のため誰のためにやっていたのかと理念に立ち返るしかありません。

人は暗闇の中で灯台を見失えば、どうしても焦りや不安から感情に呑み込まれてしまいます。そのような時こそ、自分の心の中にある灯台を見出し、心の灯台を信じて暗闇を歩んでいくしかありません。

仏陀に、自灯明、法灯明という言葉があります。これは「自らを灯明とし、自らを依処として、他人を依処とせず、法を灯明とし、法を依処として、他を依処とすることなかれ」といいます。

大事なのは、他人に依拠してはならぬと。自らを灯明にせよということです。

自分自身の初心を忘れるなという言葉は、この言葉と同じ意味です。引き続き、子どもたちのために自らの灯明を照らし続けていきたいと思います。

  1. コメント

    人を「裁く」ときは、「条件をつけて」見ており、裁いている限り、「その人の良さ」は見えてきません。この「裁き」は、ときにもっともらしく聞こえますが、「慢心」の一種であるところが注意点です。自他の「あるがまま」を受け入れ、「そのまま」を生かし合うためには、まずは、一旦、自分の「裁き心」を外す必要があるようです。

  2. コメント

    『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』という本が以前話題を呼んでいましたが、子どもたちは様々な場面でたくさんの学びをしているのだと感じます。子どもたちと同じように、その場面場面においての学びを今していんのだと、その意味を深めていきたいと思います。

  3. コメント

    誰かが何かに挑戦しようとしている時、今まで自分が体験してきたことであれば最初の頃に自分はどのような状況の中で何を感じどう取り組んでいったのかを自然と思い返します。お互いにそんな風に想い合えれば正論を言うよりも寄り添うこと認め合うことから始められるように思います。状況や心境に心を寄せていきたいと思います。

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