令和とは

新元号が発表されて、心機一転、新しい時代がまた明けるという印象があります。この「令和」という文字は、万葉集の「初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」から取り入れたとありました。

首相からは「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という願いを籠めたものとありました。「初春令月、気淑風和」というのは、まさに旧暦2月ですから冬から春になる兆しが出るころの目出度い月に、さらに調和の吉兆の気配があるという感じではないかと私は思います。

ちょうど今年は聴福庵にも来客が続き梅の花や蘭の花、最近は桜の花を設えておもてなしを行いました。家の中に初春の兆しの目出度い花々が彩ると、古民家はとても美しい調和を奏でてくれます。

日本の古来の伝統文化を知る人は、この家の調和の雰囲気を自覚する人で現代の西洋的な居住空間ではなかなか感じにくいかもしれません。

春の兆しというのは、新しくはじまる巡りの予兆でありそれをどのような心持で過ごしていこうかといった予祝の文化があってこそです。この月や風、梅や蘭の美しさを目出る心こそ日本人の文化そのものであると私は感じます。

本来の意味を正しく学び直すことは、日本の暮らしを日本人として甦生しそれを実際に体感し感得することで得られると私は思います。それは単なる机上の専門家の言葉遊びではなく、まさに知行合一に文化の中に入ることで真実は学べます。

元号が変わり、万葉集、万葉人たちはどのような暮らしをしてきたか。改めて子どもたちにその場や間、和を伝承していきたいと思います。

  1. コメント

    「元号が変わる」というのは、国が変わり、国民の生き方が変わっていくということでもあるでしょう。日本人は、これまで何度も何度も、この変化を受け入れて時代をつくってきました。と同時に、日常では、「四季の変化を敏感に感じ取り、素直に生活を整える」という生き方もしてきました。忙し過ぎて、日々の兆しを見逃さないように、心乱して、大事な兆しを無視しないように注意したいと思います。

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