掃除と研修生

先日からインターンシップ生を聴福庵で受け入れて研修をしていますが目指しい成長を確認することができます。朝から一緒に、古民家の掃除を中心に行いますがとても綺麗に楽しく掃除をしてくれます。

感性が素直だからというのもありますが、自主的に近所の落ち葉を拾ったりと積極的です。もともとは掃除が大嫌いだったといいますが、なぜか聴福庵に来てからは掃除が楽しいと言ってくれました。

伝統的な日本の掃除は、現在の便利な掃除の方法とは異なり自分自身との対話でもありました。ゆったりと流れる時間の中で、雑草を摘み取り、整え、そして綺麗に磨きます。

その磨く一連の動作は、自分の心の掃除も兼ねます。

日ごろから丁寧に暮らしていくことの美しさ、そして磨かれていく自分の感性、さらには掃除をするたびにそこに家との愛着、物との絆、様々な歴史を懐かしむことができるのです。

掃除とは、単に見た目だけを新しくすることではなく自分自身を確認することであると私は思います。自分とは何か、自分はどのようなものか、全体との布置、そして調和、また感性を豊かにするのです。

掃除の功徳というのは、計り知れないものです。それだけ一つを活かせば、全体が活かされ、全体が活かされることで自分が活かされる。そういうことを感じるのも掃除の美しさということです。

美しいものを観ればみるほどに人間の心もまた澄まされていきます。私自身も、研修生から学び直し、初心に帰り学びを味わっていきたいと思います。

  1. コメント

    「掃除の功徳」は、お釈迦様をはじめいろいろ言われています。その内容を見てみると、「掃除をする」という文化は、大きな「智慧」であるようです。しかし、その「掃除」をちゃんとしなくなりました。いつの間にか、汚れや場の乱れに気づかないだけでなく、「愛着心」が薄れたり、「清々しい」という感覚がわからなくなったりしています。「功徳」があるからするのではなく、その実践の中で味わえる功徳をしっかり味わいたいと思います。

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