感情の掃除

人間は感情の生き物だといわれます。感情はあるがままに感じるもので、それを我慢したり無理をしたりするとかえって負の感情として残るものです。世の中には、口が悪い人がいて傲慢に上から大声で怒鳴るように感情をぶつけてくる人がいます。こういう人に対して苦手な人が多いと思いますが、それを我慢していたら無理がたたりパワハラで苦しくなったりするものです。

また怒鳴っている本人は、自分のイライラや怒りが周りに多大なネガティブな印象を与えた事に意外と気付いていなかったりします。その一言で、すべてを台無しにしていることを自覚しておらずそれで人生が暗転していくことに気づいていないのです。

台無しという言葉の由来は、仏像などを安置する台座がなくなれば仏像の威厳がなくなってしまうことで面目がないとか形をなさなくなるという意味です。つまりはその人自身がせっかく善いところが出ていても、その一言や怒りの感情をぶつけることでそれが消え失せてしまうことです。

一般的には、それらの感情をぶつけられても言われた方は我慢をして諦めようとしますが実際にはいつまでも心の中に残りますし、いつまでもその言葉を根に持つことになります。感情が消えないのです。その理由は、嫌だったことをそのままに受け止めなかったことから消えなくなります。

嫌だったこと、憎かったこと、つらかったこと、それを大声の人の恐怖で我慢するからそれが残るのです。言い返すことは難しいかもしれませんが、憎いことは憎い、嫌なことは嫌だと我慢せず吐き出すことでその感情は相殺されていくものです。

言った方は台無しになったことも気づかず、自分が酷いことを言って信用を失ったことにも気づかずにあっけらかんとしていますが、言われた方はいつまでも覚えているものです。

言われた方も、それで傷ついてそれを恐れになりトラウマになれば感情はいつまでの残りますからそうならないように気を付けなければなりません。

感情は感じたものに対して素直に味わい、自分の感情を吐露するときにゼロベースにリセットされます。大事なのは、感情を吐露することで本心を我慢しないということです。それで消し合うことで、再び素直な自分を維持することができるように思います。

「一方的に切れたもの勝ちや怒鳴ったもの勝ち」みたいな歪な価値観もありますが、実際に大きな損をするのは切れた方ですし怒鳴った方です。特に、最近の研究でも不平不満や愚痴、切れる人は肉体が老けるのが非常に早くなるということもはっきりしてきています。

自分を誤認せず、自分自身のことをゼロベースで理解し直すことは自分というものを素直にして運を高めていくためには大切な素養です。足るを知らず、いただいた好運やご縁、おかげ様や感謝を忘れると人間関係に必ず錆や綻びが出てきます。自分が正しいと狭い了見になっていないか、相手が悪いと決めつけて真実を見失っていないか。人間は常に自分を素直にすることに真剣にならなければ運は好転していかないということでしょう。

そして錆を磨いて綺麗にするのも掃除ですが、感情を素直に消化していくことも掃除の一つです。感情の掃除をしながら、楽しく豊かで美しい日々を味わっていきたいと思います。

  1. コメント

    「自分の感情」と素直に向き合うことはとても大事です。そこにはいろんな自分の思いや姿が見えてきます。それをしっかり自覚する必要があるでしょう。しかし、それは「感情的になること」ではありません。感情的というのは、コントロールできていないだけで、ブレーキが踏めていないということでもあるでしょう。「我慢」ではなく「素直に自覚し消化」できるようでありたいものです。

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