本物の場

弥盛地(イヤシロチ)という言葉があります。これは日本の古文書の一つ「カタカムナ」の中で出てくる言葉です。簡単に言えば、場には「弥盛地」と「気枯地」(ケガレチ」というものがあります。

弥盛地は、万物を癒す場所、そして気枯地は、万物を穢す場所ということになります。生きものには、その場所によって生成する場所と衰退する場所があります。もちろん生きものにも種類があり、私たち人間にとって癒す場所と穢す場所がありますが他の生き物ではそれが逆転していることもあります。

水気が多い場所が好きな生き物、乾燥した場所が好きな生き物、その生きものたちの特性で癒しも穢れも変化します。この穢れは、「気枯れ」とも書かれます。それは元氣が減退しているということです。

この元氣というのは、生き物たちが根源からもっている元来の「気」のことです。私たちは肉体や精神を持っていますが、もともとその中には気が宿っています。その気の状態を如何に清浄にしていくか。まるで水のように澄んだ状態にして、自然や地球のいのちと一体になっているかが、日本の先祖が重んじた風土と一体になった状態であったのです。

風土は季節と一体ですから、そのバランスを崩さないようにいつも気を澱ませないようにと元氣が満ちた状態、つまり健康であることを心がけてきたのです。

その健康は、その場によって支えられるものです。それはその土地の風土環境をはじめ自分自身に与える気が澱まないようにいつも排水し続ける必要があります。体の状態と同じように、新陳代謝をよくし、水がしっかりと循環して老廃物を流し続けるように私たちの気もそうやって循環することで健康を守ってくれています。

健康を維持するためにはこの弥盛地の場チカラは大変重要になってきます。先祖は様々な工夫を凝らして暮らしを改善し、住環境を改善し、食を整えてきました。その智慧があったから、いのちが燃え尽きるまで幸せに活動をし続けて生を全うすることができたのです。

この時代は、自然から離れあまり弥盛地のことが重要視されなくなってきました。改めて子どもたちに本物の場を譲り渡していけるように、具体的なものを創造し伝承をしていきたいと思います。

  1. コメント

    ここに来ると「落ち着く」「心が癒される」という場所は確かにあります。一方、「どうも落ち着かない」「気分も良くなく早く帰りたくなる」という場所もあります。昔の人は、植物が育ちやすい場所か、物質の耐久性がある場所かどうかということで、人にとっての「健康地」かどうかも見極めてきたのでしょう。また、木炭を使ってイヤシロチ化を工夫したという話も聞きます。「場」というのは、「環境」の大前提です。きちんと学び直す必要がありそうです。

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