徳経済

21世紀の経済システムは、競争の中で個々の利益(得)を優先して欲望を消費することによって発展してきました。資本主義経済やグローバリズムというものは、この損得というものを基準に如何に得をするかということをそれぞれの国家でしのぎを削ってきたとも言えます。

しかし、現在は米中貿易戦争やEUのバラバラな姿を観ていたらこのそれぞれにお互いの国家の損得だけで競争していたらもう世界は成り立たないことを実感します。一つの地球に住み、みんなで大切に資源を分け合っていた太古の時代を懐かしめば、如何に今の時代がそれぞれの国益を優先し奪い合っているのかがわかります。

日本には古来から「知足」という概念があり、奪い合うのではなくお互いが分け合うことで豊かな発展を続けてきた歴史があります。経済の本質は、損得だけではなく「尊徳」であり、その「徳」そのものを大切にすることでお互いに利益を享受し合う関係を豊かにしていくことができるように私は思います。

この「徳」が循環する仕組みが前提にあるからこそ、通貨や貨幣が人々の心を結び、信頼し合い助け合うための信の道具として活用されてきました。今の時代は、目先の損得ばかりが議論の中心になり長期的な視座における尊徳の方は議論にあがることもありません。

それは競争するということが大前提になっており、その中でその競争から離れて降りていくことはその世界から観れば負けを意味するからです。確かに勝敗の世界での一喜一憂は切磋琢磨していく上では大切なものです。しかしその勝敗に固執するばかりに、人類の幸福や本来の目的まで忘れてしまうというのは本末転倒しています。

協力が大前提になっている世界においては、お互いに大切にしていることが「徳」になりますから一人ひとりがみんなで徳を積んでいこうと行動していくことになります。この徳が、実際に経済を活性化させそのプロセスが人々のご縁や結びつきを強くし、関係し合う絆を強くしていたのです。

徳と経済を分けて考えるのではなく、徳経済という日本の伝統の思想を甦生させ今の時代のシステムを見直すことが未来へ生きる子どもたちへの私たち世代の引継ぎであってほしいと願います。

果たして少し損をすることは貧しいことなのか、本当は少し損をすることをみんなが行うことは何をすることになっていたのか。損をしないことばかりに躍起になるのではなく、みんなが損をしてでも大切なものを守りたいというものの中に本当の徳があるのではないか。

そして今の時代に私たちが住む家や食料や、衣服、様々な伝統や思想や文化があるようにそれを残し譲ってくださった方々がいたからなのは自明の理です。だからこそ、損することは長期的には偉大な得になることを大きな個人(公人)としてみんなが見守り育て譲っていくことが本来の個々人に求められていくように私は感じます。

個人個人と自分自分と、我が我がといがみ合うのではなく、みんなで一緒に生きていくことの仕合せや喜び、感謝や共感、共鳴や恩徳を味わい笑い合う世界を自分のできるところから発信していきたいと思います。

  1. コメント

    「奪い合えば足らず、分け合えば余る」と言います。「所有」に価値を見出すと取り合いの競争になりますが、「活用」に価値を見出すと「シェア」すればよくなります。昔は、「無ければ借りる」という「貸し借りの思想」がありましたが、この世界は、物不足でも豊かでした。「シェア」の本質は「生かすこと」ですから、「うまく借り合えばいい」のかもしれません。もともと「人生はすべて借りもの」でもありますから。

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