風呂の起源2

昨日からお風呂の起源を書いていますが今度、挑戦し復古創新する「伝統の湯屋」は地下水を使う予定にしています。これは炭でお茶を飲む人はわかると思いますが、同じ水でも炭で沸かした水の細かさと柔らかさ、その湯気の美しさは格別です。そして水道水と地下水では当然、味もまったく変わってきます。

私たちは水蒸気になった空気を、呼吸を通して、また皮膚を通して全身から吸収していくものです。自然の加湿や除湿によって私たちは自律神経を整いますから、湯屋に入ることでそのような神経の乱れを調和させていたのです。

本来の湯屋のはじまりの仏教的な沐浴の意味は、ます「沐」は水を頭から浴びること、「浴」は水に身体を浸けることですがそれ以外にも煙・火・香料などによりけがれを落とすことも沐浴といわれていました。

私たちは清めることと整えること、癒すことなどをすべてこの「水」の不思議な作用を活用していたということです。サウナがここにきて流行ってきているのは、自律神経を整え精神を安らぎ癒すために大きな効果を発揮するからということでしょう。IT化が進み、より脳の一部を非常に酷使する生活の中でどうしても自律神経や交感神経、副交感神経はバランスをとりづらくなります。それをサウナを用いることで脳を癒そうとすることには私もとても共感しています。

さて昨日のブログの続きになりますが、江戸時代の銭湯は上下の別なく、裸の付き合いができる庶民のいこいの場所だったといいます。あれだけの人口で衛生面を維持するためにもお風呂は江戸の要ではなかったかと思います。高温多湿の日本で密集人口の中でいるというのは極めて蒸し暑さを感じるものです。お風呂からあがり団扇でゆっくりと風に涼んでいる様子が脳裏に浮かんできます。

江戸時代は男女の混浴が当たり前でしたが、風紀が乱れるからと幕府から何度も禁止令が出ています。禁止令を何度も繰り返すうちに、次第に男女別や時間帯別などになり、明治に入ってからは完全に男女別のお風呂になったといいます。

ところでお風呂のことを今でも「湯船」と呼ぶのは「湯を張った船」があったころの名残です。これは街中にしかないお風呂を、銭湯のない地域や田舎などの遠くの方々に入ってもらうために昔は船でお湯を提供していたからです。またほかにも街の通行人に入浴させた「辻(つじ)風呂」、そして人の多い場所まで風呂桶を担ぎ樹木の影などに置いて人々を入浴させた「荷(にな)い風呂」などもあったといいます。

ここまでしてでもお風呂に入りたいと思った日本の人たちは、穢れを払い心を洗い清める文化と合致して深くこの沐浴という習慣を愛したのでしょう。その後は明治時代には石榴口は取り払われ屋根に湯気抜きが作られたり、浴槽と板流しを平面にしたり、洗い場も変わっていきました。西洋文化が流入する中でお風呂のこれらの変化を「改良風呂」と呼ばれ人々の間でも評判になったといいます。また大正時代には、より近代化されて板張りの洗い場や木造の浴槽がなくなりタイル張りや陶器になりました。昭和に入り浴室のに、湯と水が分かれた水道式のカランが取り付けられ現代のお風呂の形になっていきます。

改めて、お風呂は何のために入っていたのか。そして今でもお風呂が各家庭にあり日本人が大の風呂好きといわれる理由がわかったような気がします。本来の「沐浴」の意味を復古し、この時代の「湯屋」を新しくする。

子どもたちに大切な文化を伝承するために、本物の日本のサウナに挑戦してみたいと思います。

  1. コメント

    出張先のホテルでは「シャワー風呂」になってしまうので、汗は流せても疲れはとれません。やはり、自宅のお風呂で、ゆっくり湯船につかるとホッとします。朝陽を浴びると「体内時計がリセットされる」と言いますが、湯船につかると、乱れた心身がバランスを取り戻すというか「修復される」感じがします。お風呂の長さは人それぞれですが、しっかり時間をとって、明日のために心身を整えたいものです。

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