幕開けと幔幕

昨日、聴福庵にて郷里での「飯塚ブロックチェーンストリート構想」の記者発表を行いました。かねてからこの幕開けの機会をいつにするのかと模索していましたが、ようやくその機会が訪れたことに安堵しています。

この「幕開け」という言葉は、演劇のことばで演題がはじまることをいいます。そこから物事のはじまりのことを指すようになりました。他にも幕明けともいいますが、夜が明けたり時代が明けたりと、新しいことがはじまっていくという一つの節目としてとても善い言葉だと私は思います。

その幕明けに相応しい日に、聴福庵の玄関には幔幕(まんまく)が飾られました。この幔幕とは、日本大百科全書にはこう記されています。

『布製の遮蔽(しゃへい)具の一種。幕が布を横に縫い合わせるのに対し、布を縦に縫い合わせる垂れ幕のことで、ときには、上下または上端だけを横布にし、そのほかは縦の布を縫い合わせる場合もある。幔は、『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』に「万多良万久(まだらまく)」とあり、斑幔(はんまん)(まだらまく)のことをさすが、これは幔幕のことで、白と縹(はなだ)、白と紺、白と紅、縹と紅など種々の色裂(いろぎれ)を取り合わせて、縦に布を継ぎ合わせるのを特色とした。なかでも、白と紺は、のちに白と黒の斑幔にかわり、これは俗に鯨幕(くじらまく)とよばれた。地質は主として麻布であるが、ときには絹や綾(あや)、錦(にしき)なども用いられ、とくに宮廷における儀式には幕は用いられず、もっぱら幔幕が用いられたといわれ、ほかに舞楽の桟敷(さじき)、船上、軍陣などにも幔幕が使用された。なお、短い幔幕で舎殿や祭場の周囲に張るのに用いるのを屏幔(へいまん)といい、その入口に用いるために中央を絞って門の体裁につくったものを幔門といった。』

今ではお祭りやイベントでしか見かけませんが、本来は家で暮らす人たちが大切な家族の節目に幕をかけることや、ハレの日に特別な祭事が行われるときにこの幔幕は使われてきました。

むかしは、家で出産し、家で結婚式をあげ、家で葬式を行いました。そのほかの大切な人生の行事はすべて家を用いました。その都度、間取りを変えられるように建具を取り外したり移動したり、別のハレの日用の建具にしたり、様々な工夫をして場をつくりあげました。この場は、暮らしの中にある場であり、その場づくりこそが「和」の心を育てました。

私は家を主語にし、「家が喜ぶか」と取り組み、そして暮らしの中で働くことを実践していますからこの「幔幕」の存在は聴福庵にはとても大切な暮らしの一部を担ってくれます。聴福庵で用いている幔幕はむかしの本物のものにこだわり、布は麻のもの、そして家紋を入れ、藍染で色をつけています。風合いが美しく、風に揺られ透き通る藍い光が室内に入ってくるとうっとりします。

時代が変わっても、むかしから大切にしてきた日本の伝統文化や民族伝承の智慧は普遍としてこの世に残ります。それを今を生きる私たちが引き継いでいくことは、長い目でみて多大な世界貢献であり、国家子孫繁栄の礎であり、自然風土の循環を守ることにもつながるのです。

一つ一つの暮らしの実践を丁寧に紡ぎながら、豊かな仲間との思い出で包まれながら新たな冒険を楽しんでいきたいと思います。

  1. コメント

    日本家屋は、障子も襖も取り外しができ、空間を自由に変えることができます。また、衝立や暖簾を使って、自在に仕切ることもできます。さらに、幕を使って会場に換えてきました。そのそれぞれは、季節によって入れ換え、ほんとうに豊かな「場」を演出してきました。そこには、自然と一体となり、季節・時節に合わせた「豊かな暮らし」があります。そういった「家中心のい暮らしの智慧」を取り戻したいものです。

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