石の徳

昨日は、BAに建立する留魂碑を故高橋剛さんのお父さんと一緒にノミで文字を手彫りで刻む作業を行いました。二人ともはじめての体験でしたが、石に文字を刻むことを通して故人の供養になったのではないかと感じました。

そもそも石に遺志を刻むというのは、なんとなく感覚で理解していましたが実際にノミをもって手彫りで刻んでいると、心が穏やかな気持ちに包まれてきます。石というのはどこかごつごつと固く、頑強なものというイメージを持っていましたがノミで彫っていると柔らかく静かで穏やかな存在であることに気づきます。

この穏やかになる気持ちはどこから来るのか、本当に不思議でかつての先人たちが仏像や石碑を彫刻したのは心を静めるためでもあったのではないかとも感じました。

石は、私たちのいのちよりもずっと永くこの世に存在しているものです。まるで永遠ともいえる悠久の時間をゆったりと過ごしています。その存在に触れていると、「時間」というものに触れるように思うのです。

悲しみが時が解決してくれるように、時間というものはその過ぎていく過程で様々なことを許し、また慈しみ、安らぎを与えます。同様に、石が持つ時間は私たちの心に深くそれらの時の徳を与えているのではないかと感じるのです。

私の直観では、石は時そのものを司る存在なのです。

時が石に刻まれていくことで、石がすべてを包み恕してくれます。私たちが石を身近において石に見守られていると感じることができるのは、その石の徳に感応しいのちが安心することができるからです。

次回は、今回刻んだ文字の仕上げを行います。一つ一つの物語を石と共に刻み、初心を次世代へ伝承していきたいと思います。

  1. コメント

    人の心にもいろいろなものが記憶されていきますが、時ともにだんだん頼りなくなっていき、思い出し続けない限りどんどん薄れていくものです。しかし、石に刻まれたものは、そこにその心を遺し続けてくれます。忙し過ぎると、心への刻み方が甘くなっていきますが、「留めておくもの」と「流していった方がいいもの」をきちんと見極めて、その刻み方を工夫していく必要があるようです。

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