場を磨く

人間は、どうしても他と比較したり他人の評価を気にするものです。そもそも何のためにということをいくら決めていたとしても、そういう他人の目に晒されているうちに自分の初心を忘れてしまうものです。

何のためということがあれば、その人の本当にやろうとしていることにつながるためそこに迷いが消えていきます。逆を言えば、人は目的を忘れることを迷うといっているのであり目的を大事に初心を忘れなければ迷うことはないということです。

吉田松陰にこのような言葉が遺っています。

「小人が恥じるのは自分の外面である、君子が恥じるのは自分の内面である。人間たる者、自分への約束をやぶる者がもっともくだらぬ。死生は度外に置くべし。世人がどう是非を論じようと、迷う必要は無い。武士の心懐は、いかに逆境に遭おうとも、爽快でなければならぬ。心懐爽快ならば人間やつれることはない。」

この爽快であるというのは、迷いがないこと。悔いのない生き方、成長する生き方を優先している人だからこそやつれるようなことがないということです。

どんなことも初心を忘れなければそれは成長の糧になり、学びの意味につながるのです。まさに一度きりの人生、どんな時も明るく朗らかにいのちを燃やしていくのが人生の意味につながります。

思えば私は17歳のころからずっと吉田松陰の書に薫陶を受けてきました。松陰神社に行けば、一つ必ずインスピレーションをいただきそれを学びの目標にしてきました。何か事を成そうとするとき、心の支えの中にはこの吉田松陰の言葉があります。

「道を志した者が不幸や罪になることを恐れ、将来につけを残すようなことを黙ってただ受け入れるなどは、君子の学問を学ぶ者がすることではない。」

「決心して断行すれば、何ものもそれを妨げることはできない。大事なことを思い切って行おうとすれば、まずできるかできないかということを忘れなさい。」

「君子は何事に臨んでも、それが道理に合っているか否かと考えて、その上で行動する。小人は何事に臨んでも、それが利益になるか否かと考えて、その上で行動する。」

BAの開校に向けて、私は覚悟を磨く決心をしています。そしてそれは遺志を継ぐ思いからです。最後にこの言葉で締めくくります。

「奪うことができないものは志である。滅びないのはその働きである。」

ハタラキを守り、ハタラキを弘め、子どもたちの未来のために世界の方向性を易えていくために場を磨いていきたいと思います。

  1. コメント

    どんな人も「迷わない」ということはないでしょう。「迷わないとき」は、逆に「慢心」を疑わなければなりません。そういう意味では、「迷う」からこそ「正しい道」を選ぶことができるのかもしれません。そこには、私心なく、道理に合い、天に恥じない確信が必要です。その勇気が出せ、その生き方を優先する覚悟ができたとき、魂は「爽快さ」を味わうことができるのではないでしょうか。

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