信を用いる

人は、どのような人を信用するかと深めると裏表がないいつも本心をさらけ出し本当のことを言ってくれる人を信じるように思います。なぜなら、真実や本当のことには嘘がなく、嘘をつく必要もなく、ありのままであるがままで自然体で接することができるからです。

何があろうがなかろうが常にいつもと変わらずに誠実に接してくれる人を人は信用します。それはその人は、別に相手に合わせて自分のスタンスを変えているのではなく、まさに自分の生き方そのままを貫き、その生き方のまま接してくれるからです。

そう思うと、信用される人というのは生き方を持っていてそれを貫いている人ということになります。そういう人は、自分に対しての嘘も不必要であり、本質や本心のままに日々に生きていくことを正直に取り組んでいきます。

武者小路実篤がこういう言葉を遺しています。

「僕が信用する人はどんな時でも、本音のあり場所を示す人だ。本当のことがわからない時は、わからないとはっきり言える人だ。」

本音のあり場所とは、自分を偽らないで本心をそのままさらけ出せる人ということです。そしてその自分の本心が分からないから教えてほしいと言える人もまた、自分を偽らないで本当の自分の心をさらけ出しています。

自分の心を見失っているのならそれを教えてほしいと素直に言える人、また自分の本音を知ってもらったうえで謙虚に人の助言を受けようとする人。そういう人は人から信用されます。

人から信用される人は、自分のことも信用できます。つまり信用する人や信用される人とは、自分の本心を大切に生きようと努力している人ということになります。自他に誠実な人は、自分の本心を偽りません。自他の本心を尊重し合う関係の中にこそ、お互いの信があります。この信の語源は、神様に誓う言葉であり、誠を顕す言葉です。

自分の本音や本心を偽りながら語る人の言葉は力がなく、その人の言葉を聴いても力になってあげられることもありません。本当にその人の信が覚悟がりできるのなら、応援するためにあらゆる助言や助力を信用できる人たちは惜しむことがありません。

人生の大切な節目は、自他に正直であること、自分の本心を大切にすること、自他を信頼することで自分の道が導かれていくものです。

子どもの憧れるような生き方を、実践を積み重ねていきたいと思います。

  1. コメント

    「自分との向き合い方」が「人との接し方」に現れる、と言われます。「誠実さ」「正直さ」は、人に対して語られますが、ほんとうは、「自分に対して誠実か?!」「自分に対して正直か?!」ということが外に現れているだけのようです。「自分をごまかす」というのは、「ほんとうの自分を見失う」ということです。それでは、本当の意味での「保身」にはなりません。大事のは「そのままの自分に対する信」です。

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