自己研鑽~己を知る~

先日、野球の野村克也監督がお亡くなりました。改めて数々の名言を読み直してみると、見た目のあのぼやいている雰囲気にはない人間観察の粋を究めた考え磨き抜かれた言葉の数々があります。

人間は生き方がその遺す言葉に出ますから、どのように人物や人生を深く学び洞察して定義するかでその人の魂の真価のようなものを確かめることができます。どの道も突き詰めていけば原理原則に出会いますがその智慧はそのまま私たちの人生にも活かせるものばかりです。

いくつか深く感じ入ったものを紹介してみたいと思います。

選手時代のことは、

「京都の片田舎にある無名校から、十把一絡げのテスト生として入団した私は、最初から努力以外にこの世界で生きる術はないとわかっていました。だから連日連夜、誰よりもバットを振りました。3年目でレギュラー、翌年にはホームラン王になれたのも猛練習のおかげです」

「素振りはつまらないし、回数を基準にすると続かない。私がこの単純作業を継続できたのは、振ったときのブッという振幅音に興味を持ったから。ミートポイントで力を爆発させるようなスイングができたときは、この音が短い。そして、この短い音を出すためには、力を抜いていないとダメだということに気がついた。これがおもしろくて、1時間、2時間はすぐに過ぎていきました。」

選手にはこう言います。

「努力に即効性はない。コツコツやるしかない。いつの時代にもいる一流選手と自分は何が違うのか。それを考えながらやるしかない。」

「一流の人を真似るのはプロの常識。そういう努力の中で、一流選手と自分との違いや、何が大事なのかということに気づいていく。よりもバットを振りました。3年目でレギュラー、翌年にはホームラン王になれたのも猛練習のおかげです。」

監督としてはこういいます。

「選手がどういう場所で生きてくるかを気づかせるのが監督の役目でもあるんです。監督業というのは「気づかせ業」だと思っています。気づかせることが「再生」なんです。南海時代、それまで1勝もしてなかったピッチャー3人をトレードで獲得して「俺が言うとおりに投げれば間違いない」と言って3人とも2ケタ勝利で優勝。それで再生工場というような異名がつけられたわけです。」

「勝つときにはいろんな勝ち方があって、相手が勝手にずっこけたり、勝手にミスしてくれたりして「ああラッキー」という勝ち方もあります。しかし、負けるときというのは、負けるべくして負けるものです。勝負の世界にいると、勝って反省というのはできないが、負けたときには反省する。敗戦の中にいい教訓があると思います。」

監督は気づかせ業、負けに不思議の負けなし、これらの言葉はとても偉大な智慧が凝縮されています。自分と正面から向き合い、自分自身と常に対話して自己を修正してきたからこそ絞り出る言葉の数々があることに感動します。

他にも名言はありますが、私が野村克也さんから改めて学び直すのが「自己研鑽」この大切さです。自己研鑽=努力は、隠れていますからあまり表立っては評価されません。まるでそれは陰徳のようなものと同じです。頭を使うというのも、常に己を疑い己を修正し磨き続けることに終始すれば努力は離れることもありません。

野球人生を生ききった人物の後ろ姿はこれからの後人の光になると思います。

最後に、特に私が好きな言葉です。

「心が変われば態度が変わる。態度が変われば行動が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。運命が変われば人生が変わる。」

ご冥福を心からお祈りしています。

  1. コメント

    私が野村さんを通して知ったのは、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉です。この言葉は、「だからどうすればいいか?!」を語っていますが、野村さんは、それを実践された人でした。幸之助さんは「一所懸命に生きて初めて、ほんとうに生きる自信が生まれる」と仰っていましたが、そういう生き方を「実践してみせてくれた」人でもありました。心より感謝いたします。

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